今やすっかり定着してしまった『格差社会』という言葉。
その中で、いわゆる“勝ち組”とされるのはたいてい、インターネットやIT関連で若くして財を築いた人たちだ。
彼らは情報やアイデアという、いわば実態のないものを商売のネタにして成功した人々。
ありとあらゆる物質に囲まれ飽和状態になった社会が次に求めたのは、情報だった。
そこに目をつけた彼らは、良くも悪くも大量の情報を流通させることによって儲けた人たち。
だから求められるのは、速さと量だけ。
そこにはモラルがない。質もさほど問われない。優しさがない。あるのは、ただ便利さだけだ。
ある意味彼らは、時代が求めた「究極の便利屋」だ。
僕は、この人たちのことを尊敬できない。
いや、世の中の流れを読み要領よく立ち回って成功した、その手腕にはある意味敬服はする。
しかし、なんだかまるで羨ましくないのだ。自分がああなりたいか?と問われれば、間違いなくNOだ。
それはきっと彼らが、汗をかき努力をして何かを作り上げた人ではないからだ。
これは、負け惜しみでもなんでもない。本当に、まるで羨ましくないのだ。
極端な話、僕の人生と彼らの人生…今から代わってくれと言われても、絶対に嫌だ。
確かに経済力に関しては天と地だろう。そこだけをとって比べれば、比較にもならない。
しかし、それ以外に関しては全て自分が勝っていると、胸を張って誇れる僕がいる。
『格差社会』の“格差”とは、読んで字のごとく“格の差”のことだ。
ここで“格”という言葉を辞書で調べると、こう書いてある。
かく
[格]
格式.ランク.
→〜が違う
そう…“格”とはそもそも、「格式」と「ランク」。この2つの意味がある。
なのに、現代日本において『格差社会』という言葉を使う場合、もっぱら「ランク」の意味合いでしか使われておらず、「格式」の意味合いで使われることは、ほとんどないと言ってよいだろう。ここに僕は、何か意図的なものを感じずにはいられない。
世間で言われている『格差社会』とはとどのつまり、「お金をどれだけ稼いだかによるランクづけ」。
その方法や、そこに至る過程…どれだけその人間が努力したか?がまるで評価されない、おかしな査定方法。まったくもって片手落ちもいいところだ。。
これでは、手段を選ばずお金を儲けた人間こそが格上であり、コツコツ努力して何かを作り上げた人間が格下ということになってしまい、若い人たちが真面目にやる気をなくしてしまうだろう。これは、国としての明らかな危機だ。
人の格は、これまた読んで字のごとく“人格”で決まるもの。
ここで“人格”という言葉を再び辞書で調べてみると、こう書いてある。
じんかく
[人格]
人柄.品性.
→(〜)権(けん)
→(〜)者(しゃ)
巷で時代の寵児呼ばわりされているIT関連の社長たち。
そのことごとくが、この「人柄」と「品性」に欠けているのは、いったいどうしたことか?
僕がもしも、彼らのような巨万の富を手に入れたなら…被災地の皆さんや恵まれない子供たちに寄付したい。
どんなにお金を儲けたところで、自分のことしか考えられない人間は、卑しい。
だから、そんな人に僕は憧れない。
『格差社会』という言葉に振り回される世の中も、悪いと思う。
何でもお金中心に考える物質至上主義に皆が毒されているから、お金持ちが格上に見えたりするんだ。
ことさらにお金持ちを羨ましがったりするから、お金持ちはお金持ちでいい気になってつけあがるのだ。
そういう意味では『格差社会』なんて言葉が流行るのは、格上と見なされるお金持ち連中だけではなくて、それをもてはやしたり羨ましがっては自分を格下と感じて卑屈になる、お金持ちではない人々もまた、その原因だと言っていい。
お金のない人間がお金持ちを羨ましがって苦しむのは、自業自得だ。
他ならぬ自分自身が物質至上主義だから、人間をお金でしか量れないのだ。
何でもお金を中心に置いて考えるから、いちいち卑屈になるのだ。
人間の価値は、多種多様。
なのに「お金持ちか?そうじゃないか?」の一点だけで格を決めるなんて、おかしいだろう?
“格差”なんて、ないんだよ本当は!
お金のあるなしで“格差”なんて感じること自体が、幼稚で間違った価値観なのだから。。
苦しいのは、お金がないからではない。
お金がないことを格下に感じてしまう卑しい心根こそが、苦しみの原因だ。
こういったお金持ちを羨ましがる卑屈な心根の人間が多数存在する限り、世の中から『格差社会』というものが消えることはないだろう。
世間が押しつけてくる間違った価値観から、自由になろう!
マスコミや他人に振り回されないしっかりと自立した価値観を持って、もっと賢くなろう!
あの巨大掲示板2ちゃんねるの管理人の口癖は、「退屈だ。」らしい。
大した努力もなしに、実態のない情報とそれを転がすアイデアであっさり手に入れた勝ち組人生とやらは、こんなにも味気ない。。
黙っていても有り余るお金が入ってきて、毎日を「退屈だ。つまらない。」と溜め息つきながら暮らすIT長者よりも、
傷つき、
悩み、
時に挫けそうになりながらもあきらめずにもがき続ける、
僕やあなたのほうが人間として、実ははるかに格上なのだ。
額に汗して一生懸命にコツコツ真面目に頑張れる人生は、本当に幸せだ。
バーチャルではなく実態があるから、
やりがいがあるから、
手応えがあるから、
幸せなのだ。

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