まさぼーが働く病院では、今日もいろんな出来事がありました。
今日は11階の病棟に看護補助員は僕だけという状況だったので、朝から晩までまさにあっという間の忙しさ!終わった時には思わず、深いため息ひとつ。もうクタクタの汗まみれでした。。
11階の病棟は重病の患者さんが多いので、看護士さん達は寝たきりで身動きひとつとれない患者さんのしなびた睾丸や汚物まみれの臀部を丁寧な手つきで綺麗に拭き取ります。僕もその手伝いで、オムツをはくのを助けたり、尿容器を洗ったり感染患者さんのブツブツの足に靴下を履かせてあげたりします。
汚いだの臭いだの、そんな気にはなりません。
そんな気になっている暇もないからです。
そしてもうひとつの理由は…自分より弱い者を見れば助けてあげたり力を貸してあげたいと思うのが当然だからです。
毎日生活していると、嫌なことやつらいこともあるでしょう。。
人生、都合の良いことばかりが起こるわけではないし、思うにままならないことのほうが多いはずです。
それもそのはず!人生は修行なのだから、つらくて当たり前。つらいからこそ、修行になるんです。つらいことから逃げずに体当たりでトライする、そんな僕らを神様は見守ってくれているんです。
心の病気で部屋から一歩も出ることができずニート暮らしを余儀なくされている若者もいることでしょう。僕はニートをけっして否定しませんし、僕自身ご存じの方も多いように、社会生活を営む上で非常に困難を伴う重い脳の障害と心の病気を抱えております。それぞれにやむを得ない事情というものがありますから、頭ごなしに否定したり怒ったりするつもりはないんです。
しかしながら、以前の記事でも書かせていただきましたが、いちばん大切なのは“動機”です。ニートをするにしても、それがどういった動機に基づいているのかというその一点が常に問われるのです。
前向きな気持ちで、自分らしく生きるためにしばらく休みをとっているだけなのか、あるいは単に「楽をしたい。怠けたい」と甘い考えでダラダラしているだけなのか?。。。この後者のタイプに属する人の中には、そんな自分を認めたくなくてあの手この手で自己を正当化しようとする人もいます。
神様は、すべてを許してくださると云います。しかし、はたして本当にそうなのでしょうか?
そして、神様はすべてを許してくださるから大丈夫!と考えることは、本当に自分のためになるのでしょうか?
まさぼーが神様の存在を信じながら特定の宗教を信仰しない理由が、ここにあります。
神様はすべてを許してくださるという考えが、人間の心にさらなる甘えを生む可能性があると考えるからです。そしてまた、身近にそういった人間を目の当たりにしてきたからです。
キリストもブッダも、まさぼーに言わせりゃ“ただの人”です。極論すれば、僕と対等かそれ以下です(爆)。
だから正しいことを言っているなあと思うこともあれば、「それは違うやろ?」と違和感を感じることも普通にあります。要はおかしなことにはツッコミを入れていいのです。それがキリストさんであれブッダさんであれ、恐れることはありません。だって僕もまさぼーさんですから(笑)。
僕は、神様は心の内にいると思っています。
自分より弱い者や困っている人を助けてあげたい気持ち。。そんなふとした日常の出来事の中に神様はさりげなく降臨されるのであって、言い訳がましい自己愛で呼び寄せるものではありません。魔法じゃないんだから(苦笑)。。
神様=善なる心です。善なる心から程遠い生活をおくり、都合のいい時だけ神様に手を合わせる。そんないい加減な人を神様が許してくださると思いますか?
そしてまた、たとえ偉大にして寛大なる神様がそれを許してくださったとしても…自分で自分が許せますか?
僕は、許せません。
自分がそんな風に甘ったれて、楽をするための方便に神様まで引っ張り出すような堕落ぶりを発揮し始めたなら、神様に言われるまでもなく自分で自分を戒めたくなります。何故なら、僕の中にも小さいながら、神様の欠片が確実に存在するからです。
人間というのは、実に弱い生き物です。
ちょっとでも気を抜いたら、すぐに心に隙ができて、魔がさしてしまいます。そして自分の弱い心ゆえにさしこんだ魔を、「神様は許してくれるから」と正当化しようとする。だからいつまでたっても弱いままなのです。
弱い自分では生きていけない。弱い自分では生きづらい。
なのに弱い自分のままでいい。弱い自分のままでいたいと言う。それは厳しい言い方になりますが、一種の傲慢ではないでしょうか?
“神様はすべての人を許す”というのは、「生きていていいよ」ということだと僕は思います。未熟でどうしようもない落ちこぼれの僕たちに、生きて何度でもチャンスをつかめ。そしてやり直せという意味だと解釈しています。
「自分は、弱い」と嘆き悲しむ皆さん。世の中には、もっともっと弱い人達がいます。。
真っ白な枯れ枝のような体で、車椅子に座ることすら困難な患者さんの看護をお手伝いさせていただいていると、それを強く感じます。また、そんな場所にご縁をいただいた喜びを強く感じます。
感染した患者さんの汚い睾丸に触らなければ成り立たない仕事があります。誰かがその仕事をやらなければ、患者さんは死にます!!
今日まさぼーは地下の霊安室から、一人の患者さんを見送りました。
Iさんというお爺ちゃんで、この前までは一応まだ話せる状態でしたが、今朝容態が急変してお亡くなりになりました。。。
人生はあっという間です。長いようで短い、儚いものです。
キリストもブッダも偉大です。だけれど最も偉大なのは、キリストもブッダもアラーの神もまさぼーも、そしてあなたも…この世の生きとし生けるものを全て創りたもうた、神様です。
僕は、“その神様”を心から尊敬しています。
そして、その神様は…
寝たきりのお爺ちゃんのオムツを取り替える時に汚い睾丸に笑顔で触る、看護士さんや僕のもとに舞い降ります。。。


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