『心の救急箱』としてリニューアルさせていただいた赤いベレー帽、第二弾の記事になります。
よく世間では『他人の不幸は蜜の味』などと良からぬことを言う人々がいます。
「他人はどうあれ自分さえ良ければそれでいい」「他人が不幸な目にあっているのを見ると、ざまあみろと思う」こういったネガティブな思考回路。
ネガティブな思考はネガティブな波長を生み、やがて周りの人々にも伝染します。世の中を斜に構え事あるごとに愚痴ばかりこぼす人。そんな人の周りには、同じように斜に構え愚痴をこぼす人々が集まります。これは実社会でもネットなどのバーチャル社会でも同じこと。
ネガティブな波長を放つ人のブログや掲示板には同じようにネガティブな人が吸い寄せられて集まり、ネガティブな運命共同体を形作ります。
そこではポジティブな発言をする人間は浮いてしまうか排除されるかのどちらかです。圧倒的な多数決によって、ポジティブな波長が跳ね返されてしまうのです。
ですからそういったブログや掲示板からは、前向きな意見など出てくるわけもありません。既にある“場の空気”がネガティブなのですから、ポジティブであることはまるで悪であるかのように、邪険に扱われます。そして今日もまた他人の揚げ足をとって誰かを貶めては自分の小さなプライドを保とうとする…。そんなブログや掲示板の、なんと多いことでしょう。
しかしながら、僕は思います。そういったネガティブな波長を放つ方々もまた、幸せになりたいのだ、と。そう…ネガティブな彼や彼女もまた、ただ幸せになりたいだけなのです。
自分が楽しく幸せな気分でいたいからこそ、貴重な時間をわざわざさいてまで記事やコメントを書き込みしているはずなのです。
巨大掲示板での会話などを見ていると、よく話が平行線で物別れに終わるケースを見かけます。それぞれがそれぞれの立場から口々に意見(悪口)を言いたい放題言うだけで、異なる立場の人間に対するリスペクトや深い洞察がないから、ただの喧嘩で終わってしまうのです。
今はこんな感じのコミュニケーション不全症候群が蔓延しています。他人を貶めたり出し抜くことばかり考え、思いやる気持ちがなければ、正しいコミュニケーションは成立しません。要するに、ハッピーではないのです。幸せではないのです。
物事の捉え方がネガティブな人は、他人ばかりを常に意識します。「他人に負けたくない」という要らぬライバル心が強過ぎるのです。
本当に負けてはいけないのは、他人に対してではありません。自分に対してなのです。他人に何と言われようが、自分にだけは負けてはいけないのです。
例えば他人に対して悪いことをした場合、それを素直に謝ることができず、時には卑怯な手を使ってでも自分を正当化する人がいます。
「バレなければ何をしたっていい!」とばかりに、裏と表を姑息に使い分けては他人の揚げ足をとり自分のアイデンティティを保とうとします。
そういった方のアイデンティティは、他人の揚げ足をとり貶めることによってしか成り立たないアイデンティティ。言わば、弱いアイデンティティです。
しかしそういった行動をとる当の本人はそのことに自覚がなく、人を自分より下に見ては「自分は強い!」と思い込んでいます。あるいは、ややもすれば崩れそうになる自我を保ちながら、そう思いたがっています。一見逞しく強そうに見える人に限って、いったん人生に挫折すると簡単に破綻をきたして気がふれたようになることが多いのは、そのためです。
他人を否定し自分を保ってきた人は、挫折を知ると今度は、自分が否定されるのです。
他人を受け入れず否定することばかりに慣れてしまうと、否定されることにはまるで免疫がなく、驚くほど打たれ弱いのです。
「人生は苦労したほうが得だ」というのはまさにこのためで、時にいじめられ虐げられ…屈辱的な思いも体験してこそ、あらゆる場面における免疫が身につきます。何か酷い目にあったとしても、「ああ…こんなことは以前もあったな…。だから今回もまた、大丈夫。」そう思えるのです。
つらいことや悲しいことは、まるでスパイスです。
それ単体では激辛で口にすることすらはばかられても、人生という料理にパラパラとふりかけてみると、グッと味が引き締まる。そういうものなのです。
「幸せになりたい」と願うのは、人間みな一緒です。しかし、そのために他人を貶めよう、他人を出し抜いて自分だけ幸せになろうというのは、間違いです。
僕達が生きるこの世界は、全てが必ずどこかでつながっています。
人の揚げ足をとったり陰でこそこそ悪口を言う人間は、たとえその時にはバレなかったとしても、いつかふとしたことから馬脚をあらわし、恥をかくようにできています。
恨み辛みのネガティブなオーラを発すると、それは巡り巡って自分へとかえってきます。誰かを過剰に憎んだり恨んだりする人が決して幸せになれないことは、歴史が証明している真実なのです。
自分が幸せであるためには、まずは自分が属する社会そのものが幸せでなければなりません。
そして、社会が幸せであるためには、社会に属する一人一人が幸せでなければなりません。
『他人の不幸は蜜の味』。
小さな小さな自己愛にとらわれて、こんなことを口にしてしまう人が今もどこかにいるとしたら…今日この瞬間からは、やめてみませんか?
あなたが他人の幸せを心から祈れば、必ずその正しい思いは、またあなたにもかえってきます。
他人の幸せは、蜜の味なのです。。。

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