病院での仕事にもだいぶ慣れて、オペ場の洗浄室と薬剤部のほうを掛け持ちする毎日となりました。
病院のスタッフはみんな、仕事がら前向きで真面目な人達ばかりで一緒に仕事させてもらって気持ちが良く、病気や障害に負けずに前向きに生きようとする僕の気持ちとシンクロする様は、まさに『波長の法則』です。
良い出会いがさらなる良い出会いを呼び、そこからチャンスが生まれて、自分の魂を大きく成長させてくれます。居場所は向こうから勝手にやって来るものではありません。自分から歩いていって作るものです。
あとは、いまだに夕方になると突然めまいがしはじめて目に見えてペースダウンしてしまうという体調的な問題さえクリアできれば、現在週3日の勤務シフトを近いうちに週4日にしてもらい、来年あたりには週5日の勤務で完全社会復帰を果たしたいと思います。今はそこへ一歩一歩順調に進んでいる最中。我ながら重たい脳と心と体をひきずりながら不平不満も言わず、よくぞここまで這い上がったと自分自身を誉めてあげたい気分です。
さて仕事のほうはと言えばそんな感じで順調なのですが、ブログのほうが相変わらず半ばほったからかしになってしまっています。これには、理由があります。
実は、僕はこのところブログをやっていて楽しくなく…いっそのこと、この『赤いベレー帽』をやめてしまおうかとすら思っていたほどだったのです。
理由はいろいろありますが、主たる原因は“人間不信”です。具体的には、今の若い人達とどう接していっていいかで、頭を悩ませているのです。
僕は約束を守る男です。ですから前言を撤回し約束を守らない人が苦手だし、そうされるとショックです。
語弊があるのを承知の上で申し上げると、最近は何もかもに対して軽くていい加減で、自分のことばかりを考える人が増えました。ただでさえ自己中の権化のような父を毎日間近で見て過ごしている僕のことです。ブログでまでそういった方々を目にすると、いくら経験上比較的人間のできた僕でも、やはり疲れます…。
今の世の中は善悪の判断すらつかないといった困った人も目につきます。これは大人も子供も同じこと。昨年、こんなことがありました。
歯に衣着せぬ僕のブログを逆恨みのような形で憎み、匿名の荒らしという最も卑怯な形で『赤いベレー帽』の活動を邪魔しに来た一人の若い男性と、当時僕と親しくしプライベートな相談にもできるかぎりの時間を割いて乗らせていただいていた40代後半のある女性が、あろうことか裏でつながり仲良くしていたのです。
別に誰が誰と仲良くしていただいても結構ですし、こちらとしても他人の交友関係にまで興味はありませんが、ネット上で最もマナー違反である匿名の荒らしをするような人物を擁護し仲良くされては、こちらがそれまでその方に向けてきた優しい思いやりと言葉は何だったのだろうかと虚しくなります…。人は人ですから、見返りを求めることには意味などありません。しかし僕がその時ショックだったのは、過去ログをご覧いただけばわかっていただけるように、ある種の覚悟を持って、大袈裟な言い方をさせていただくなら、文字通り命を懸けて書かせていただいてきたこのブログを荒らして謝らないような人物を『悪』と認定できない、その判断能力のなさに対してです。
情報過多な中、価値観も自分の存在も全てが軽く嘘っぽくて、何を信じていいのかわからないといった方も多いかと思います。信頼、友情、愛。それら目には見えない大切なことが、「目には見えないから」とごまかされ、蹂躙されます。これでは「信じる者は救われる」どころか、「信じる者は騙される」。いや、「正直者は馬鹿を見る」の世界です。
僕は小さな頃から、「自分はこうだ」というしっかりした意見を持ち、どんな妨害にあおうともそれを曲げない意志の強い子でした。ところが、狭い島国である日本では、そういった意志の強いしっかりした子供は嫌われイジメられる対象になりがちだということが、統計上わかったらしいのです。何をか謂わんやです。この国では、自己主張もなく他人の顔色を見てから意見を言うような日和見主義者が、むしろ主流派なのです。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、僕の『赤いベレー帽』には引くに引けない理由、重い意味があります。かつての僕の婚約者だったある女性の幸せを祈り、また何十年にもわたる家族の問題と僕の病気を浄化する決意で、このブログは始まり、今日まで続けてきました。
おかげさまで変わらない姿勢に熱い支持をくださる方も多く、コメント欄よりむしろ人の目につかないメールといった形で、人間関係の悩みなどの相談に現在も乗らせていただいています。そこで聞かれるのは「〇〇さんを信じていたのに裏切られた」「絆を信じた自分が馬鹿だった」などの悲しい悲鳴です。これらは全て、自分に一本芯が通らず、淋しさに負けては他人の顔色や周りの状況から日和るタイプの方たちがもたらす悲劇なのです。
自分が傷つきたくないがばかりに、あるいは何も考えずに、矛盾を軽んじて交遊関係をいたずらに広げようとする人は、羽を持ちながら鳥の仲間には入れてもらえず、かと言って動物の仲間にも入れてはもらえない…まるでこうもりのようです。
こうもりはけっして信用されません。都合よくあちらにもこちらにも合わせているうちに、鳥にも動物にも愛想を尽かされる運命です。独りぼっちになりたくなくて両方にいい顔をしてみたら、やがては両方から嫌われるのです。
大切なのは「自分はどちらを大切にしたいのか」、胸に手をしっかり当てて静かに内観してみることです。おべんちゃらなら誰でも言います。大事なのは、その耳ざわりのいい美しい言葉は本物なのかということ。それを見極められるような自分になることこそが、さらなる良い出会いを呼び真の幸せに近づくことに繋がると思うのです。
話は変わりますが、まさぼーはかなりの音楽(洋楽ロック)マニアでもあります。小学生の頃から洋楽一筋で、集めたレコードやCDの数は数千枚にも及びます。
そんな中でも僕がいちばん愛し心から尊敬してやまないアーティストが、80年代にUKロックシーンに革命をもたらした元アズテック・カメラのロディ・フレイム。彼の音楽、そしてそこから滲み出る人間性を一言であらわせば“誠実”。僕はそんな彼という男に心底惚れ込み、10代後半の頃から今日にいたるまで、変わらず熱い支持をしてきました。大学生の頃には元婚約者であった恋人みさととファンクラブをやっていたこともあります。そしてこの『赤いベレー帽』は、そんなロディとみさとへの胸いっぱいの想いを込めたメッセージでもあります。だから、それを邪魔するヤツは許しません。熱い想いを抱え命賭けで胸を張って立つ僕に、覚悟のない中途半端なことをしてガッカリさせるのはやめていただきたい。匿名の荒らしなんてくだらないことをして自らの株を下げたりしないでいただきたいのです。
僕は、ブログ開始当初からGREENちゃんと仲良しです。洋楽マニアで心の病気に苦しんできたまさぼーとB’Zの大ファンで先天性の体の障害を理学療法に取り組んで良くしようと頑張るGREENちゃん。年齢も性別も趣味も立場も何もかもが違うはずの僕たちが、どうして今日まで絆を育んでこれたのでしょうか?それは、「この人なら大丈夫だ」「この人はけっして裏切らない」という信頼感ゆえだと思うのです。
こうもりではなく、鳥の仲間か動物の仲間かがハッキリしているから、安心して心を許せる…。
鳥にも動物にもいい顔をするのは“誠実”ではありません。交遊関係は広ければいいというものではないのです。
数は少なくとも、たとえたった一人でも、信頼できる仲間がいること。それが人に勇気と自信を与え、よるべのない恐怖と不安から救ってくれます。
善悪の判断に、他人の顔色をうかがう必要は全くありません。自分の中に必ずある神様の欠片と対話しさえすれば、本来は子供でもわかるはずなのです。
情報は使い道を間違えれば敵ともなります。道に迷い右に進むべきか左に進むべきかわからなくなった時は、自分の魂の奥深くを静かに内観することです。
答えは必ず、自分とともにあります。

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