「馬鹿にするな!!」
2階から突然聞こえてきた怒鳴り声に、3階でくつろいでいたまさぼーと妻ざわりんは思わず顔を見合わせました。
怒鳴り声の主は、父。ガチャン!と受話器を叩きつけて、父は電話の向こうの相手に怒りを示しました。「お父さん、どうしたんですか?何かあったんですか?」とざわりん。顔を真っ赤にして興奮状態の父は、「何もない!」と一言怒鳴ったきり、部屋にこもってしまいました。
まさぼーとざわりんが3階に戻ると、電話のベルが再びけたたましく鳴り響きました。ざわりんがとると、まさぼーの妹からでした。さっき父と揉めていたのは妹だったのです。何か言いすぎて謝るつもりなのかと思い、ざわりんが父に取りつぎました。
しばらく階段の陰から様子をうかがっていると、電話の雲行きはまたしてもだんだん怪しくなってきて…やがて罵り合いになりました。話の内容を聞いておかなければ後々都合が悪いと感じた僕はやむをえず(あまりそういうことをするのは好きではないのですが)3階の電話から話の内容をこっそり盗み聞きしました。
どうやら父と妹は、この前産まれたばかりの妹の赤ちゃんの誕生日祝いのことで揉めているようでした。
「ワシは〇万円払う」「いや、そんなに払わなくていい」「払わなきゃワシの気が済まん!」「今お父さん、お金がない時なんやから無理しなくていい!」「なに!?オマエはワシを馬鹿にしとるのか!?」「馬鹿になんかしてないけど、無理せんでええって!」
一通りこんな感じの押し問答が続き、やがて二人は罵り合いに…。要は「ああそうなんだ、わかったよ」の一言で済みそうな問題が、売り言葉に買い言葉で枝葉がついて、お互い退くに退けなくなってしまうのです。
まさぼーの家は、昔からこんな感じでした。特に父と妹の二人はタイプが非常に似ているために、些細なことでよく喧嘩したものです。
人は皆、この世にそれぞれの目的を持って生まれてきます。前世というものの存在を信じている僕には、この二人はお互いに似た課題…“人生の宿題”を前世から引き継いだ人に見えます。
二人とも思い込みが激しく、自分以外の他人の価値観を認めにくい人達です。そしてその反面、依存心が強く、他人に「こうでなきゃダメ!」という過剰な期待をしてしまうために、自分の意にそぐわないことがあるとすぐキレてしまうのです。
もちろん二人とも僕の愛すべき家族であり、尊敬できるところもあります。特に僕は、妹とは小さい頃とても仲良しでした。
小学生の頃妹は、大変な甘えん坊でしかも面倒くさがり屋で、夏休みになるたびにドリルや写生などの宿題をまさぼーに任せました。勉強や絵を描くことが得意だった僕は、それを一手に引き受けてサクサクこなしました。それが毎年、当たり前の光景でした。夏休みが終わる頃になると母も、「ほら!お兄ちゃんにやってもらいなさい!」と言いました。
『勉強ができること』がアイデンティティーだった当時の僕は、それをこなすことに安心感や喜びすら感じていました。
やがて僕は成長し都内の大学に入り、そして就職し、かねてから患っていた心の病気を悪化させて故郷の和歌山へ帰って来ざるをえなくなりました。情緒は安定せず、いろいろな仕事を転々とすることになりました。
そんなある日、僕が病気になった事情もわからない…いや、理解しようともしない父は、世間一般で言われるようなもっともらしい理屈で僕をなじりました。そして、父に反論する僕に、妹がこう言ったのです。
「なに偉そうに反論してんのよ!この社会の落伍者!」と。
依存心が強く甘えん坊で面倒くさがり屋だった妹は、自分はろくにバイトもしたことがないのに、かつては世話になり続けた兄を“落伍者”と言いました。
また数年が過ぎ、そんな妹もやがてそのことを僕に謝り、そして結婚し、先日可愛い赤ちゃんに恵まれました。
僕は心配なのです。妹は、赤ちゃんに過剰な期待をして「こうでなきゃ」と決めつけて育てはしないでしょうか?…もし妹がそうしたとしたら…それは、かつてのまさぼーの母と同じ育て方です。その育て方をしたら…
必ず、間違いなく、僕みたいな人間になります!いつか…『社会の落伍者』と罵られます。
赤ちゃんには僕みたいに不自由な思いはせずに、スクスクと育って欲しいのです。だから、妹にはぜひこの機会に変わってもらいたい。他人を認め、他人の自由を認められる大らかなお母さんになってもらいたいと思います。
父は、妹からの2度目の電話をまたしてもガチャン!と切った後、まさぼーとざわりんにこう言いました。
「〇〇(妹の名前)は昔からアホタレやったからのお!ワシはアイツの言うことなんか、90%聞いてないのや!あんなアホタレの言うことなんかのお!!」
「アホタレはアンタや」と僕は思いました。『妹の話を90%聞いていない』と豪語するこの人は、間違いなく僕の話やざわりんの話も90%聞いてはいないはずだからです。『人の話なんか90%聞いていない』…それを面と向かって他人に言える幼稚さと面の皮の厚さには、怒りよりも虚しさを覚えます。吐気すら感じます。なぜならこの人の他人の気持ちを考えようともしないこんな冷血漢ぶりのせいで、僕は病気になったからです…。
自分自身の“宿題”を四苦八苦しつつ毎日こなしながら、まさぼーは思います。
大人は、宿題を誰かにやってもらうわけにはいきません。父は父。母は母。妹は妹。自分の宿題は自分自身で全て引き受け、片づける。それが人生です。
「お兄ちゃん!この宿題やっておいてよ!」
セピア色の思い出。甘酸っぱい季節は…今は、昔。
人生のドリルはまだまだ続きます。
夏休みが終わっても、宿題はまだまだ山積みなのです。

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