皆さんは“ニート”という言葉に、どんなイメージをお持ちですか?
働かないで家でゴロゴロする役立たず。親のスネをかじる穀潰し…そんなところでしょうか?(笑)
まさぼーは、境界性人格障害という心の病気を抱えています。昨年末にそれが原因で体調を崩し、2年半続けた仕事を辞めて、現在は自宅療養中の身。家内(ざわりん)と二人で稼いだ貯金といくばくかの借金でなんとかやりくりする毎日です。そんな中、追い討ちをかけるように、年明け早々我が家では母が脳出血で倒れて緊急入院。現在リハビリに取り組んでいます。そして母の留守中、その母が作った多額の借金まで判明。実家の洋服屋は破産の危機を迎えております。
まさぼーの一日は、入院中の母の付き添いと父の相談相手、店の手伝い、そしてこの『赤いベレー帽』。
まさぼーの『赤いベレー帽』は、僕自身の幼少期からの様々な体験と、そこから僕が心の病気になる過程、そして病気からの脱却を試みる闘いの道程とその中で得た学び…“自分を赦し、他人を赦すこと”について記事を書き、皆さんのご相談にのらせていただきながら、ともに考えてゆくブログです。キャッチフレーズは“傷ついた心を抱える人と痛みを分かち合うサイト”。そう、『赤いベレー帽』は傷ついた心を抱える皆さんと、同じように傷ついた心を抱えるまさぼーが、癒し癒されるサイトなのです。
人の痛みは、本当に痛い思いをしてきた人間にしかわかりません。昨日僕は、脳性麻痺という病気と毎日懸命に闘い続ける親友・GREENちゃんに、ブログ開始以来いちばん嬉しい一言を頂戴しました。
「まさぼーちゃんだから話せるの」
その一言。僕は誰かにそんなことを言ってもらいたくて、命を削る思いで、忘れ去りたい自分自身の過去のトラウマを赤裸々に語ってきたのです。
応援してくださる方がいれば、批判される方も、またいます。まさぼーは、昨日通りすがり(?)のある方から非常に厳しいコメントをいただきました。それは…
「41歳でニートかよ!?」
「稼ぎのないヒモ亭主!」
「病気を親のせいにして同情買いやがって!」
「病気を言い訳にしてないで仕事しろよ!」
「家にずっとひきこもってるから、頭も体もおかしくなってんじゃないのか!?」
…といった全くもって散々なものでした(苦笑)。なぜこの方がこんなに怒るのかについては後で語らせていただくとして、見た目に普通に見えても一応僕は病気です。この言葉をコメント欄に見つけた瞬間、全身の血の気が失せ手足は氷のように冷たくなり、ガタガタと震えがくる始末。母の転院で忙しい一日を、酷い頭痛とともに過ごすこととなりました。風邪をひいた人に「熱を出すな!咳をするな!」と言う人はいません。僕達が抱える心の病は、目に見えない病気ゆえに理解されにくい。それがよくわかるエピソードだと思います。
まさぼーは、昨年5月にこのブログを始めて以来これまで、様々な誹謗中傷の類をいただいてきました。いわゆる“荒らし”というヤツですが、これらの方々には必ず、一つの共通点があります。…それはURLを貼りつけていないことです。人のブログの内容やその生き方にはケチをつけるけれど、自分は反論されたくない。他人のブログは荒らすけど、自分のブログは荒らされたくない。そんなセコイ考え方が見え隠れしますが、ご安心ください。まさぼーは絶対にそんなことはしませんから。どんなに傷つけられても仕返しをしようなどという発想そのものが、僕にははなから無いのです。
『赤いベレー帽』の最初の記事は、僕が名前をつけていただいた縁ある神社に厳かにお詣りするお話から始まります。そう…ブログ開始以来僕は、常に自分の中の神様とともに歩んできました。もし僕に敵がいるとするなら、それは自分自身だけです。闘うべきは自分の弱い心。だから僕は何があっても、このブログを途中でやめるわけにはいかない!もしこれを途中でやめたならば、それは…僕が僕に負けたことを意味するからです。
『赤いベレー帽』は、全てをなくした僕の“覚悟のブログ”です。僕のライフワークです。僕はこの『赤いベレー帽』を最終的に本として出版するつもりです。長い人生の中、夢をなくしてしまった僕の、新しい夢。新しい扉を開けて向こう側へ出るためにどうしても実現しなければならない夢。それが『赤いベレー帽』の出版なのです。
まさぼーは大学卒業後、都内のレコード会社に就職し、30歳になるまでプロモーション(宣伝活動)を学んできました。今思えば、その仕事は僕にはあまり向いていなかったような気がします。なぜなら僕は生来、あまりに正直すぎるからです。プロモーションとは、端的に言って目の前のモノをその元来のポテンシャル以上に見せる技術のこと。要するに“売り込み”のことです。まさぼーは、商品であれ、自分自身であれ、この“売り込み”というものが皮膚感覚的にどうも馴染めません。嘘をついているような感じがして、罪悪感を感じてしまうのです。
今の世の中はネットの普及により、情報が氾濫している時代です。そんな中で社会の成功者となっているのは、プロモーションが上手い人間。“自分を売り込むこと”が上手い人間です。まさぼーはそこのところで、ずっとずっと壁にぶち当たってきました。そんな中、昨日ぶつけられた先の発言が、僕に大切なことを教えてくれたのです。
僕は41歳です。世間で言われるオジサンです。僕は無職です。世間では“ニート”と呼ばれて差別的な扱いを受けてしまいます。
先の発言をされた方が僕に対してぶつけた疑問。そのひとつひとつを腹を立てずに冷静になって、逆に考え直してみると面白いことに気がつきました。それは、僕がどうすれば彼(彼女?)は満足したのかという答えでもあります。すなわち…
「41歳でニート」ではなく「稼ぎのないヒモ」ではなく「病気を親のせいに」せず「病気を言い訳に」せず仕事をして「家にひきこもったり」しない人物像。…そう、それは世間一般で言うところの“普通の人”そのものの姿です。
彼が僕に期待した人物像は、“普通の人”。そして恐らくそれは、“彼そのもの”の姿なのでしょう。いわば言い方は悪いですが、その辺にいくらでもいる人のことなのです。
しかし、“その辺にいくらでもいる人”が書いた本を、誰かが読むというのでしょうか?隣の人と同じ生活には、隣の人と同じ学びしかないのでは?…このことに気がついた時、まさぼーは自分の中でひとつの確信が沸き上がってくるのを力強く感じました。
僕は“41歳・ニート”です。親のせいで心の病気になり、職場で失神して倒れて仕事をやめました。親が作った莫大な借金に見舞われ、先行の見えない人生を歩いています。
そう!僕は気がついたのです!…それこそが“僕の個性”だったのです!売り込むべき“僕のウリ”だったのです!
普通の人からは色メガネで見られるような、僕の人生。それこそが僕の輝く個性!他には絶対にない僕の宝物だったのです!
僕は、決心しました。『赤いベレー帽』を出版社に“売り込み”ます!ただの無名な人物の個人史としてではなく、世にも珍しい“41歳・ニート”として!世間一般の価値観に縛られて生きる人に、反感を買うような生き方。通りいっぺんではない“普通じゃない人生”。その迫力が目障りだから、僕のブログは大勢の荒らしにさらされました。いわば荒らしをする人々とは、“口は悪くても案外保守的で、世間の歯車としての生き方を選んだ人々”だったのです。自分はレールから外れることもできない臆病者だから、そこから平気で外れて自由気ままに生きるまさぼーを、妬んでいただけだったのです。逃げ出そうにも逃げる勇気すらない人々が、逃げることができる僕の勇気と、逃げる僕をそのまま受け入れ愛してくれる温かい人々に囲まれた僕の不思議な人徳を、羨んでいただけだったのです。
現在我が国には、仕事をしない“ニート”と呼ばれる人々が増加の一途をたどっています。大ざっぱにまとめて批判されがちな“ニート”。「働かないなら死ね!」とまで、テレビや雑誌、ネットの掲示板で罵倒され放題の“ニート”。
仕事をしているのが、そんなに偉いのでしょうか?自分は仕事をして稼いでいるからと言って仕事をしてないニート達を“役立たず”呼ばわりする連中こそ、本当に何かの役に立っているのでしょうか?
“社会の迷惑者”として何かにつけて諸悪の根源のように言われるニート。しかし誰かに迷惑をかけていない人間などひとりも存在しません!人間は生きているかぎり、必ず誰かに迷惑をかけているもの。現にまっとうそうな正論を一方的にまくしたてる荒らしは、この僕に迷惑をかけているではありませんか!
今回のこの記事は、いわば“わかったような顔でニートを馬鹿にし続ける偽善的な世間への挑戦状”。年季の入った41歳・ニートからの“言葉を武器にした開戦宣言”です!
特徴のない歯車くんには、用はありません。僕のライバルは、僕自身です。
ニート万歳!
ニート最高!
ニート全肯定!
ニートに何ができるか?…これから僕は、その命題に果敢にチャレンジしてゆきます!
41歳、まさぼー。金髪のロック野郎です!(笑)レコード会社社員を始め、様々な仕事を経験してきました。胸をかきむしられるような激しい恋を、たくさん経験してきました。何度も何度も自殺未遂に追い込まれながら、今日も元気で生きています。嫌いなものは“ため息をつくこと”。ため息をつくたび、幸せが逃げてゆくような気がするから。
「まさぼーちゃんだから話せるの」…そんな言葉を胸に、僕は今日も胸を張って生きます。
今の僕の気持ちを象徴するかのように晴れわたるこの青空の下、“41歳・ニート革命”を、ここに宣言致します!とくとご覧あれ!


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