心が傷つきやすく繊細な人がいます。
周りで何か起こるたび深く傷ついて、悩み悲しみ、落ち込みます。
傷つきやすい人は例外なく「依存体質」です。要するに他人の行動、他人の自分に対する評価や愛の量を常に気にして、それを推しはかろうとします。
しかしながらそれらは目には見えないもの。見えないものを追いかける作業は孤独で淋しくて、費やした時間とは裏腹に、成果があがりません。
そればかりか周りは、他人の気持ちを気にしすぎ、人の顔色ばかりを気にするその人に、うんざりし始めたりします。
当人からすれば残酷な話です。しかし、周りはそこまで真剣に思いつめてはいないから、互いの気持ちはすれ違うばかりです。周りの人々の大部分は、人の顔色よりも自分の都合を優先するからです。
わかりもしない他人のことで悩むよりは、わかりやすい自分のことをまず考えていこうというやり方です。
これは「自分のことだけ考える」というのとは違います。まず自分のことを考え、自分に余裕が持てれば次に、他人のことも考える。そういうことです。
これは、人間の姿勢として正しいと僕は思います。なぜなら自分の心に余裕がない人に、他人のことを考えることはできない。すなわち相談に乗ることもままならないからです。
「他人が自分をどう思うか」は、他人にしかわかりません。地球上に存在する人の数だけ考え方も捉え方も違うのだから。
だから、「他人にどう思われるか」よりも、「自分がどうしたいか」を優先するべきです。
ひとりひとりが「自分がどうしたいか」をキチンと把握して、思うように行動する時、その人の心は満たされます。なぜならそれはその人が、「自分で選び」「自分でとった」行動だから。
他人の顔色ばかりを気にする人には、これができていません。他人の顔色を気にしてとる行動は、「他人に選ばされ」「他人にとらされた」行動だからです。
これでは、自分自身の人生を生きているようで、実は他人の人生を生かされているようなものです。こういった生き方から脱却しないかぎり、その人は仕事をしても恋愛をしても、心が真に満たされることはないでしょう。大切なのは自分で選び、自分で行動することです。他人という存在から自立することです。
ブログを急に休止する人が多く見受けられます。キチンとお友達に報告される方もいれば、中には報告すらなしに突然消える人もいます。僕自身も休止したことがありますし、それぞれの事情があるのでしょうから、そのことについてはどうこう言うつもりはありません。
ただ休止の理由が、よくわかりもしない他人の顔色ならば、こんな馬鹿馬鹿しいことはありません。
胸を張って自分らしく、堂々としていればいいのです!それで合わない人とは、どうやっても合いませんし、無理して合わす必要は全くありません。皆、嫌われるのが怖いのです。嫌われることを極端に怖がるから、他人ばかりを見つめ、自分から目を逸らす。
自分から目を逸らしてオドオドしている人を、誰かが好きになりますか?
だからまずは、他人から目を逸らし、自分を見つめることから始めましょう。優しいあなたなら、きっとそれができるはずです。
優しさは才能です。繊細さも才能です。その優しい視点で、その繊細な感性で、自分自身を見つめてあげてください。
心に雨の降る日があります。心に雪の降る日もあります。でも…
心に太陽の輝く日もあるのだから。きっと、大丈夫♪

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