2017年8月9日朝4時半…華は虹の橋に旅立っていきました
2001年12月18日生まれ。シルバーダップル3姉妹。
2002年2月24日出逢い記念日。2月25日家族記念日。
15歳7ヶ月の犬生でした
華はてんかん発作や腎臓の悪化を抱えつつも
ダックスの寿命年齢以上に…しっかり生きてくれました。
今年の3月17日、マズルの触感に違和感を感じ、
口内に腫瘍をみつけました。
まだ切除できるタイミングで、生きてほしいし
すごくすごく切除したかった…未来がまだ欲しかった…けど
たとえ手術しても再発や転移の可能性があること、
手術の体力や麻酔から目が覚めないリスク…
実際に数年前、麻酔をした時になかなか目覚めず危険だった…
それに、たとえ腫瘍がない健康児でも、寿命年齢なので
前兆なく明日にでも老衰で逝っちゃうかもしれない。
どんなに調べても可能性を探っても、打ちのめされる。
諸々を考えると、手術は見送り、ただただ、毎日
平穏にいつも通りに過ごせることを選びました。
ただ、抗生物質は飲ませつつ、
免疫力を高める免疫療法…注射を毎週打ってました。
動物の腫瘍の進行は早いと聞くけど、
本当に進行は目にみえて早かった。
5月20日、突然くるくる回っては壁にぶつかり隙間に突っ込み…
失明した模様。
7月30日、千鳥足でうまく歩けなくなる。
ドライを数粒残し、恐れてた食欲低下の不安。
8月1日、寝たまま起き上がらなくなる。同時にドライは食べなくなる。
ゼリーは食べてくれる。
結局、8月1日からずっと起き上がることはありませんでした。
数日後からゼリーも受け付けず、ポカリだけで過ごす。
寝たきりになってしまって、いよいよというタイミングは、
ちょうど、毎年恒例、華に浴衣を着せて、一緒に七夕祭りにいくつもりで
有休休暇での連休をとっていました。
残りわずかな時間を惜しんで、家でたっぷり華と過ごしました。
8月8日、長時間留守番させれる状態じゃなく、私は仕事があるし
結婚し家庭を持ってる妹の自宅に華は泊まりで行きました。
次の休みに帰宅予定だけど、きっとこの日が私は最期だろうと思った。
最期は妹が見守る中、逝きました。
生涯を終える時、一緒にいたかった願いは叶わなかったけど
ひとりで留守中のタイミングじゃなく、
逝く瞬間に妹が立ち会い、最後の細かい状況が知れて、
看護婦だった妹が適切に華の身体の処置もしてくれてよかった。
留守番中や寝てる最中だったらどうしようと怖かった
華の最期のタイミングに悔いはなくホッとしています。
最期の数日間はたっぷり家で過ごし、
ラスト1日は世帯が違って滅多に会えなかった妹とすごし
妹の子供たち…華の孫がかまってくれて、
旅立つ時も見送ってくれる家族が居た。
身体もキレイに棺におさめられて傷むことなく送り出すことができた。
華が娘になった日、私が連れて帰るまで
母犬の元ですごし、ミルクを飲んでママに甘えてた華は
一晩中、泣きじゃくりました。
あの罪悪感は忘れられません。あの日を忘れずに
絶対に華の今の悲しさをカバーする。幸せにするって誓いました。
華に出会えて、華に決めたこと、
たくさんのワンコや出会いの選択肢がある中で、
人生で一番の、褒めたい決断と運でした。
可愛いとか好きとかはたくさんあっても、
心底、いとおしいと感じるのは、華だけです。
覚悟していた数か月、華の終活をしていてました。
逝ってからだと、まともな思考回路じゃないだろうし
準備できてない中で何も出来ないことになりたくなかったので・・・。、
霊園なども口コミなどで調べて決めていて、
いつ逝っても対応できるように棺とたっぷり保冷剤は準備してた。
なのでスムーズに空に送る段取りができました。
景色のきれいな山のうえにある霊園で・・・
お空の近くまでは華と一緒に行き、
お空の手前で、華を見送りました。
送る時に何を持たせたらいいかとかも事前にググって
準備してたので、華の腕の中に、
華も一緒に写ってる私や妹・姪・甥との家族写真を数枚と
「ありがとう。大好き」って旨の手紙を持たせました。
すべて立ち会うプランで手続きしたので、
お骨になった華と再会し、私たち家族の手で
骨壺におさめて連れて帰りました。
8月9日は、ハグの日だって。
華を抱きしめるのが最大の幸せでした。
気持ちはこれからもずっと、華を抱きしめてます。
ハグの日が命日・・・。華め
華に関する今までの記録
http://love.ap.teacup.com/applet/naohana2/msgcate2/archive

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