ノアの子

ユダヤ人の子ジョセフは両親とともにベルギーで暮らしていた。1942年、ナチスに追われ、ジョセフは親切な伯爵家に預けられ、両親は姿を潜め離ればなれになる。しかし、伯爵家にも追手がかかる。ジョセフはそこを逃れ、教会のポンス神父のもとに預けられ、他の子どもたちと共に匿われる。
多感な少年期のジョセフは宗教とは? 愛とは? 正しさとは? 真実とは? 信じるとは?...そんな疑問をポンス神父にぶつける。神父は静かに応答していく。ポンス神父は言う。「ユダヤ教とキリスト教のどちらが本当か知りたがるけれど、答えはどちらでもないんだよ。宗教にはほんとうもうそもない。宗教というのは人間に生き方を提案してくれるものなんだ」と。そして、「『尊敬』の対象となるのはね、『証明されたもの』じゃなくて『提案されたもの』なんだよ」と。
もう一つこの物語の中でみることができるのは、神父のもとに同じく匿われた子たちのその後の生き方の違いである。ジョゼフと共に親しく過ごしたリュディは戦後イスラエルに移り、ジョセフはベルギーに残って全く違った行動をとる。なるほど、我が家の子どもらをみても実感する。同じように育てたつもりでもこうまで感覚や行動が違うものかと。
ポンス神父の「神は人間のすることに干渉しない。神は『自由な』人間を創造したのだから、人間は自分のすることに責任を持たねばならない」といった言葉が響いてくる。

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