生きてるだけで、愛

わたしと繋がっていてほしい、わかって欲しい、満たして欲しい。...とても重い欲求です。
ごめん!僕には受け止めることはできない。って言ってしまいそうです。
誰かと繋がっていたい、誰かにわかってもらいたいという願いは大なり小なり誰もがの願いなわけでそれは理解できるのだけれど、ここまでメンタルな部分が色濃く出ると苦味をを覚えて、受け止めるなんて簡単な事ではなく、後ずさりしてしまう程に苦しくなる。それは、私の器が小さいからか?、愛が無いからか?....。
小説の中の主人公である寧子が叫ぶ。「あたしがあんたとつながってたと思える瞬間、五千分の一秒でもいいよもう」と。この1/5000と表紙の葛飾北斎の富獄三十六景様の絵とがつながる。う〜ん。なかなか上手い描き方だなぁと思うが、本当にその一瞬でいいわけないだろうし。と、冷ややかに現実へと引き戻してしまう。残り少なくなったページを半ば戻って返し読みしても,私には著者がこの作品に託したであろう意図を残念ながら受け取れなかった。メンタルな部分の扱いに少し、違和感を覚えたかなと、感じる。
しかしながら、寧子を受け止める津奈木には共感した。寧子は津奈木のことを次のように云う。
「津奈木は自分の意見を主張しないことで、自分の中で作り上げている世界に他人を介入させない。自分と他人の間に絶対的な距離を置いていて、年に漫画や小説を百も二百も読んではその価値観にじっくり浸り、強固な津奈木ワールドを築きあげている。口数が少なくて人当たりが柔らかいからいい人だと勘違いされるだけで、あたしに言わせればあれほど他人に無関心な男もいない。」と。
津奈木は決して無関心な男ではないと私は思う。この絶対的な距離感を置くことが、相手を受け入れようとする一つの愛の形であると。真っ向から受け止めるなんて、格好よくはいきません。少なくても私には実経験において無理でしたから。

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