小さい“つ”が消えた日

著者はドイツ人のステファノ・フォン・ローさん。
「言葉遊びの好きな家族」の影響を受けたという著者が20歳から日本語を習い始め、一番理解しにくかったのが、小さい“つ”だったそうだ。そこからこんな素敵な話が生まれるとは...。五十音それぞれをあらわす性格もなるほどと頷いてしまうほど。例えば、お金持ちは“し”、お金がないのは“は”、“は・ひ・ふ・へ・ほ”は笑うの大好きな5人組だとか。 (わかります!? このユーモアセンス) 五十音村の住人紹介は実に面白い。
五十音らが住む五十音村である日、小さい“つ”は、「音を持たないやつなんて、文字でもなんでもない」と、まわりの皆から馬鹿にされ、存在を否定され、傷つき,落ち込み,ついには自己否定をし村を飛び出してしまう。人間界の新聞、テレビ、互いの会話は大混乱...。
さて、村を飛び出した小さい“つ”は、村や人間界の混乱をよそに、向かう先々で、色々なものを見、触れ、感じながら、何かができる・できない、何かがある・ないが、そのものの価値を決定づけることではないことに気づいていく。
一方、大混乱の村では自分たちが小さい“つ”にした過ちを省みず、小さい“つ”を「無責任だ」と責め始める。それに異を唱えたのが最年長で賢い“こ”。小さい“つ”に心ない言葉を言ったお前達の方が無責任ではないかと諭すが,こんどは責任の擦り付け合いを始める始末。再び“こ”が止め、小さい“つ”を探しだすことこそ先決だと戒め、村の住人達は探しに出かけて行く...。
私たちの周りにありませんか? こんな情景が。
誰かの存在否定してしまった経験ありませんか?
そして自分の存在を否定された経験りませんか?
私たちの暮らす閉鎖的空間で繰り返される序列的価値基準と存在否定。それがどんなに辛く苦しいものであるかわかっているはずなのに繰り返される現実。何一つ失われて良い存在なんてありはしないのだ...。
自己否定の中に苦しでいるのなら、ぜひ、広い世界の中で自分の価値に気づいて欲しいし、“こ”のように諭し、戒める存在が増えていったらどんなにか頼もしく心強いことだろうかと思わされたりもしました。
「個」の大切さはもちろん、普段あまり意識していない「大切なこと」にあらためて気づかせてくれる一冊でした。

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