ナイフ (新潮文庫)

表題作「ナイフ」を含む5編の短編集であり、大きなテーマは“いじめ”である。
いつの時代にも“いじめ”はあるのだと思います。私の幼い頃の“いじめ”は何らかの枠から外れた者が的になっていた。例えば「特別な玩具を持っている・持っていない」「威張っている・いない」とか。今思えば他愛もない事だった。私は内履きを新しくした時や洗って綺麗にしていった時ごとに標的にされた。側溝に入れられ、泥をつけられ...。でも、それで終わり。今の時代に云う“いじめ”を思えば“いじめ”の内にも入らない“幼き者らの戯事”で済むようなことなのだろう。
しかし、近頃の“いじめ”は恨みとか妬みとかではなく、ゲーム感覚なのだという。徹底的に“個”を突き落とし、それを楽しむというゲーム。
いじめる側といじめられる側、学校側や家庭側、そして親子にもスポットが当てられ、いろんな角度からその心情を思い、“いじめ”を考える事が出来る作品である。
表題作の「ナイフ」は親側の視点から“いじめ”と向き合う話。昔から小柄だったことで劣等感をもって生きてきた、一見して頼りない父親が出てくる。自分と同じ生き方をして欲しくないと願う父親の思いとは裏腹に、息子もその小柄さ故に“いじめ”にあう。父親はある時からナイフを自分の懐に忍ばせる...。
どうするんだ、そんなもん潜まして。と、ドキドキさせられる。ふと、世の中の親父の大半はこんな感じじゃないかなぁって思いつ、自分と重ねたら涙が出てきた。重松さん,上手すぎるよ。中年男を泣かすのが...。
他4編にも程度よく出てくる親父たち。お世辞にもかっこいいとは言えない等身大の親父たちが実にいとしい。
「キャッチボール日和」の編では、“反省と後悔の違い”の一文があり、なるほど頷いてしまった。
「エビスくん」の編は、著者の特別な思い(巻末参照)で書かれた,肯定的相棒物語だ。
“いじめられっ子はいじめっ子を恐れながらも一方で憧れ、憎しみながらも友だちになることを願っている”との一文に触れ、私の防涙堤は決壊してしまった。そうなんだよ。その通りなんだよぉって。ここでも昔の自分と重なってしまったのだ...。あぁ少々泣き疲れた。
「ワニとハブとひょうたん池で」と「ビタースィート・ホーム」(唯一“いじめ”が中心テーマではない)の編は他の方にお委ねして。

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