早い!早い!と言いながら!あっちゅー間に1年が終わり・・・また始まる(笑)今年も12日となり・・・また!あっちゅー間に1年が終わるんでしょうねぇ・・・(笑)・・・私の正月!!10日ゑびすが終わるまでは正月気分(😊)/今年はコロナでお参りは控えましたので・・・なんか違和感(笑)年が明けて・・・えべっさんが終わり・・・そして15日に行われていた山焼きで正月が終わる・・・そんな気分でありましたが・・・もう相当に時間が経ってるのに・・・山焼きの日がまだピンと来ません(ー_ー)!!
1月も色んな行事があります(^^)/奈良は何と言っても山焼き(😊)/いまだに(笑)ほんまに・・・分かり辛い(笑)今年は23日の土曜日に行われるとの事ですが・・・今年はコロナで・・・しかしながら規模を縮小して行われるようです。しかし・・・状況で変わるかも知れません。今のところ・・・・
古都奈良に早春を告げる伝統行事「若草山焼き行事」を令和3年1月23日(土曜日)に実施されます。新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、「With コロナ」を念頭に、 花火を中止する 等規模を縮小して開催されるようです。奈良公園周辺での密集を避けるため、当日は誘導等を行い、一定の人数を超えると大仏殿前交差点より東への入園を規制されるようです。
実施するもの
・山焼き(点火の範囲は縮小予定です。)
※点火時間:18時00分〜18時30分
・野上神社祭典(山焼きの前に、若草山麓で山焼きの無事を祈願する祭礼を関係者のみで行います。)
・ライブ配信(ご自宅等離れた場所からでも山焼きをお楽しみいただけるよう、野上神社祭典等から山焼きまでの一連の若草山焼き行事の様子をインターネットを通じて配信する予定。
中止するもの
・花火
・聖火行列
・山麓イベント(例年午後から実施している、奉納演奏、温食ブース、消防団出発式典、鹿せんべい飛ばし大会)
・山麓特別観覧席
コロナの状況もありますのでご確認ください。
そんな若草山の山焼き(😊)/この山焼きの起源は東大寺と興福寺の境界争いが始まりだとするのが定説です。宝暦10年(1760)、奈良奉行所が調停して(笑)、若草山を5万日の預かりにしたことだと言われています。おもしろい事に・・・山焼きはそれより前から記録に登場するそうです。村井古道と言う方が元文5年(1740)に書いた!南都年中行事には「この山を焼かざる時は牛鬼という妖怪出るという。これより正月丑の日に放火すといえど、近年元旦より三日をへず是を放火す。往古より誰人その事を掌るということもなし。毎春行人など放火すと見えたり。云々」と見える。
若草山の山頂には、五世紀頃とされるの前方後円墳があるそうです。鶯塚とも呼ばれていて、全長103m、前方部幅50m、後円部径61mもあります。古墳はかつてウシ墓と呼ばれ気味悪がられていたそうです。山焼きが文献に最初登場するのは南都年代記の建長7年(1255)2月12日。若草山は葛山・葛尾山または九十九山と表記されていました。どれも、つづらやまと呼ぶそうです。東大寺東南院の僧が葛山山上にお堂を建てたので、興福寺の衆徒がこれを破却した。さらに山を焼くときに両寺の公人たちが衝突して刃傷沙汰に及んだと記録に残っているそうです。
葛山は、東大寺山界四支図にも描かれているように東大寺の境内に含まれるそうです。この絵図では樹木はまだ茂っている状態だとか。しかし、興福寺がこの地域にも進出を図るようになり、紛争が繰り返され・・・・。両寺の土地をめぐる争いが実力行使に及んで、山にもたびたび火が放たれたのだろう・・・・。ほんで今の状態に・・・ん〜深い歴史( `ー´)ノ
