ん〜訃報です・・・高校野球で茨城の取手二、常総学院の監督として春夏通算3度の甲子園優勝を果たした木内幸男さんが24日午後7時5分、肺がんのため茨城県取手市の病院で死去された報道です。89歳だったそうです。木内さんと!言えば伸び伸び野球のイメージがあります。選手一人一人の能力を引き出し、大胆な用兵や戦法が「木内マジック」と呼ばれました。お人柄もあったんでしょうね!!名監督でした。私には取手二高のイメージが強いです!(^^)!
89歳を迎えた今年は体調が優れず、食欲が落ちた9月に病院の検査で肺がんが見つかった。医師からは治療を勧められたが、木内さんは「やり残したことはない。もう十分だ」と言って一切の治療を拒否したそうです。
木内監督は、03年夏の甲子園で優勝後、軽い脳梗塞になり、病院の検査で腎臓がんが見つかったそうです。「いいことがあると、代わりに体が悪くなるんだよ」・・・・手術を受けて回復し、再び監督に復帰して80歳まで指導しました。退任後「何も悔いることはない。いい人生だった」と話していたそうです。
名将は大舞台で何度も奇跡を起きました。2度の夏の甲子園優勝は、いずれも下馬評を覆した優勝でした。84年夏決勝は桑田、清原擁するPL学園を延長戦の末に撃破しました。当時は無敵と言われていたPL学園。当時低迷していたプロ野球の阪神より強いと冗談ながら囁かれていましたが・・・どないやねん?03年夏決勝は東北のダルビッシュを打ち崩しました。
木内監督は、マジックなんて言われっけど、要は弱者の兵法。力のない者がどう強いチームに勝つか。それには子供たちの力を最大限出してやるしかなかっぺ・・・・(^_-)-☆そう話しておられました。
右足を痛めていたダルビッシュにバント攻撃をせずに、強打で攻略。ダルビッシュが準決勝後に「決勝は完投します」と宣言したのを聞き「完投するならどこかで力を抜く。抜くならスライダー。それを狙え」と指示。長打で攻略して頂点へと導いたそうです。教え子たちは数多い。木内監督の遺伝子は脈々と引き継がれていくでしょうね!(^^)!ご冥福をお祈りします。
