2013/7/31
私は使い捨てのコンタクトレンズを使用しているので、定期的に眼医者に行きます。
眼鏡屋の2階で、その眼鏡屋の娘さんと思われる人が眼科のクリニックを開いています。
眼の検査をして、コンタクトの度数を決めて、処方箋が作られると、ファクスで自動的に1階の眼鏡屋に送信されているというわけです。
したがって、処方箋を持って安売りコンタクト屋に行く、というわけにはいかないのですが、いい先生なのでまあ、いいかな、と思っています。
さて、先日、眼鏡屋へ入っていくと、80代と思しきオバアサマが私のコンタクトレンズの箱と思われるものを持って、椅子にすわっています。
そばには、息子と思われるオジサン(たぶん、眼医者さんの兄弟です、顔が似てるから。)が立っています。
私が入っていくと、そのオバアサマは立ち上がり、「相馬様ですか?」と聞いてから、「XXXX円です。」と言いながら手渡してくれました。
お札を手渡すと、お釣りを取りに奥の事務室に歩いて行きました。
それが、なんというか、歩幅約10cmっていう感じで、ものすごく時間がかかります。
そして、事務室でお釣りを用意するのに、永遠とも思われる時間が過ぎ、やっとオバアサマはまた歩幅10cmで戻ってきて渡してくれました。
そして、「領収書は?」と聞くので、「お願いします。」と言いました。
そしたら、オバアサマはちょっと離れたところに座っていたオジイサマの所へ、また歩幅10cmで歩いていきました。
そして、オジイサマに向かって、「領収書。」と言いました。
オジイサマはちょっと耳が遠いのか、「エ〜ッ?」と聞き返しました。
すると、最初からずっとそばに立って、オバアサマの様子を見守っていたオジサンが、「領収書!」とデッカイ声で言うと、オジイサマは理解し、よっこらしょ、と立ち上がって、カウンターの方にやはり歩幅10cmで歩き始めました。
オジサンは私に向かって「お待たせして申し訳ありません。」と謝りました。
オジイサマは、カウンターの前にやっと到着し、また、よっこらしょと椅子に座りました。
そして、領収書を取り出し、また、永遠とも思われる時間が過ぎ、領収書を書いてオバアサマに手渡しました。
オバアサマは、また歩幅10cmでこちらに向かって歩き始めたので、私はさすがに取りに行きました。
もう何年も通っている眼医者さんであり、そこの眼鏡屋でコンタクトレンズを買ってきたのですが、オジイサマやオバアサマは奥の事務室にいることがほとんどで、いつもオジサンが応対をしていました。
何がどうなったのかはわからないのですが、オバアサマやオジイサマにもっと働かせようということなのかもしれません。
きっと長い期間、あのお店をやってこられたのでしょう。
もしかすると、ちょっと様々なことに衰えが出てきて、積極的に関わらせた方が、衰えを遅くするのに良いという判断をしたのかもしれません。
私は急いでいなかったし、高齢になった母親が身近にいるので、高齢者ができる範囲のことをやることが大切なことは理解しているため、長いこと待っていても、全く腹も立ちませんでした。
でも、忙しい人や、高齢者が身近にいなくて、そういう状態が理解できないお客さんだったら、怒る人もいるかもしれませんね。
お店のオジサンも、自分がやった方がはるかに楽だけれど、お客さんに謝りながら、年老いた両親が働くのを見守っているのだな、と思いました。
益々高齢化が進む社会です。
自分ができる範囲のことを高齢者がやるのを、社会の一員としてみんなが見守る、というのはこれから益々大切になってくるよな〜、なんてことを思いながら帰って来ました。
もちろん、すごく急いでいる時もあるでしょうから、その辺の兼ね合いは考慮しないといけないでしょうが。
歩幅10cmで一生懸命歩いているオバアサマを見て、なんだかホッコリ暖かい気持ちにして貰った午後でした(*^_^*)

8
2013/7/28
毎日暑い日が続いてますね。
まだ7月なのにどうしたの?って感じで、8月が思いやられます。
しかも、このところ雷雨や豪雨が多発。
被害が出ている所も多数で心からお見舞い申し上げます。
天候だけではなくて、社会現象、例えば、政治、経済、事件等、なんだか極端な事が多い気がします。
ふと、自分の気持ちの動きを観ると、これまた振れ幅が大きくなってます。
暑さでボーッとしてなにもやる気にならずにいたかと思うと、モチベーションを上げる番組をたまたま見て、いきなり立ち上がって仕事の準備を始めたり、片付けを始めたり^^;
こういう行動面だけでなく、もう疲れたな〜、ってすぐにメゲちゃったり(これは年のせいか?(ーー;))、ふと心の奥から湧き上がってくるやる気に突き動かされたり。
そして、そういう振れ幅の大きい自分を観ている自分がまたいます。
人というのは、ものごとをありのままに見るということはとても難しい。
自分のフィルターを通しているので、自分が見たいように見る。
つまり、無意識の選択がすべての知覚になされているんだと思います。
そして、知覚というのが自分の世界を創っているわけです。
ならば、その知覚のもとになる、というか、自分が立っている所を変えてしまうのが、自分の世界を変える事になるのではないでしょうか。
なんぞと、小難しいことをかきましたが、暑さで脳みそがダラーッとしてるので、論旨が明快じゃなくても失礼m(_ _)m
「ユーフィーリング」という本は面白いです。
こんなにも簡単に自分の意識状態を変えられるのか、とやってみて思いました。
ただ、凄い至福の状態とか、いわゆるゾーンの状態とか、そういうのではなく、実に静謐な状態、ってのが私の個人的な感想で、エキサイティングにアヤシイ(笑)のを期待すると外れるかもしれません。
自分の世界は自分の知覚をもとに創られるなら、まずは自分の意識状態があまり波立たないようにと、このユーフィーリングをやってみたら、起きることは起きるのだけれど、その捉え方がものすごく違っていることに気づきました。
どんな風にか?
長くなるので、それはまた今度(^-^)/

3
2013/7/7
昨日、久々にバレエのレッスンを受けました。
最近、忙しいし、暑いし、身体が重いし。。。
という言い訳を自分にいっぱいしてやっていませんでした。
楽しかったのは楽しかったのですが、終わってふと気づくと、左右の足親指付け根あたりの筋肉だかスジだかが痛い。特に、左はズキズキしました。
腹筋や背筋を総動員して、身体を引き上げていないと、脚、足への負担が大きいのはわかっているのですが、無いものは引き上げられない(-_-;)
ちゃんと身体を作らないとダメだな、と何百回目だか何千回目だかの反省をしました。
とは、いうものの、歩けない、というような酷さではないために、そのうち治るだろう、と風呂に入って帰って来ました。
夜、ベッドに横になると、ズキズキ!
他に何かやっていれば、気がまぎれるのですが、ジッと横になってまた気になりだしました。
暗闇の中で、ウ〜ム、痛いぞ!
ふと、そうだ、リコネクティブ・ヒーリングをやろう
と思い立ち(もっと早く気づけよ、ですが)、自分の左足に手をかざしてやり始めました。
別に、手をかざさなくたって、セルフ・ヒーリングをやる!と思って、リコネクティブ周波数を受信すればよいのですが、そこは気持ちの問題、っていうか、手をかざしたい気分だったのです。
暗闇だし、レジスターは見えません。(注:「レジスター」というのは、リコネクティブ周波数をしっかり受信すると、かなり多くの人が起こす反応のことです。典型的なのは、目がピクピクと動くとか、お腹が鳴る、とか、手足が動くとか。他にも幾つかの典型的な反応があります。)
でも、かざしている手のひらで、アッ!ここだ!ってのが如実に伝わってきました。
面白いのですが、これって患部の近くとは限らないのですよね。
時間にして、多分、2,3分。
もう、いいな、と思ってやめました。
感じてみると、なんと痛くないのです。
そして、右足の痛みも無くなっていました。
今日の時点でも全く痛くありません。
自分がプラクティショナーでありながら、改めて、リコネクティブ・ヒーリングって凄いな、と思ったのでした。
このヒーリング、すべてを宇宙に委ねるわけで、治す!という気持ちは持ちません。
ただ、リコネクティブ周波数を受信するだけ。
プラクティショナーとしては、お客様に受信してもらう媒体になるだけ。
そして、また、すべてを委ねるので、ここが悪い、と言って来て頂いても、そこが治るとは保証できません。
リコネクティブ周波数そのものが、必要と思われるところからヒーリングをしていく、っていうわけです。
面白いのですが、肉体的不調でも、感情のヒーリングが先に始まる、っていうことも多々あります。
昨晩の私の場合、痛いからヒーリングをしたのですが、幸い、そこを先にやってくれたのでしょう(*^^)v 単純なものだったのかもしれません。
意図して問題の個所を治す!というようなヒーリングではありません。
でも、結果、驚くようなケースも多々あります。
ただ、大いなるものに委ねる、というのが基本です。
万物には様々なリズムというのがあるようです。
もちろん、人間にも。
私にもいろいろなリズムがやってきては消えていきます。
今、また、リコネクティブ・ヒーリングのリズムがやってきているのかもしれません。
もし、ご興味がありましたら、こちらのHPをお読みいただければ嬉しいです。
私以外にも多くのプラクティショナーはおりますので、ピンと来た人をお選び頂くのが一番です。

3
2013/7/7
先のブログ、「焦点」で、意識の焦点の当て方で、見えてくるものが全然違う、っていうようなことを書きました。
埴さんの焦点から、道端の植物の素晴らしい美しさに気付かせて頂いたってわけです。
もっと、ちゃんと見ような〜、とは思うものの、多分、私は道端にしゃがみ込んで、私には雑草に見えちゃうような(そもそも雑草って失礼な言い方ですよねm(__)m)、植物を観察する、ってことは無いと思います。
その代わり、埴さんのHPを見て、その写真と愛情にあふれる文章を楽しませて頂くことでしょう。
何を言いたいかというと、その位、人によって、焦点を当てる対象が違うってことです。
(じゃ、私は何に当てているのだ!と突っ込まれると、返答に窮するところはあるのですが(^_^;))
自分のことはよくわからなくても、他の方々を見ていると、あ〜、この方はこういうところに焦点を当てているんだな、あちらの方はこういうところだ、ってのがわかります。
そして、それを聞かせてもらう。
実際にオシャベリして聞かせて頂くこともあれば、ブログ等で聞かせてもらうことも多々あります。
もちろん、その方のフィルターを通すことにはなります。
それでも、そこで、自分がピンと来たら、そのものを自分で体験してみればいい。
つまり、シェアをしてもらうことによって、自分の体験も増える可能性がいっぱい、っていうことです。
宇宙には、い〜っぱいのことがあります。
それの全てを体験することは、一人の人間では難しいものがあります。
魂だったら、っていうような異論もあるかもしれませんが、一応、この肉体をもった(肉体という幻想をもった、といってもいいけど)、人間としては、体験をするものには限りがあると思うのです。
ならば、シェアをしてもらう、ってのはありがたい事ですよね。
そして、その時々で自分がピンと来る、ってのは、そのタイミングで、ご縁があるからでしょう。
だから、自分が感動したり、面白いぞ!って思ったことは、ドンドン発信して、シェアする、っていうのはいいよな〜、なんて思います。
インターネットってのは、本当に便利ですよね。(使い方次第だけど)
もちろん、シェアしなきゃならない、ってことはありません。
あくまで、自分がしたければ、ってことです。
しばらく、発信作業が止まっていましたが、またそういう気分になってきたので、しばらく「ブツブツ おばさん」やりそうです(*^^)v
聞いてみてもいいぞ、って方は遊びにいらしてください。

2
2013/7/7
昨晩のNHKでやっていたので、ご覧になった方も多いと思います。
植物写真家の、埴沙萌さん。
有名な方らしいですが、私は知りませんでした。
素晴らしい写真の数々で、TVの画面にくぎ付けになってしまいました。
薔薇や桜といった、華麗な植物ではなく、本当に道端に咲いているような植物を多く撮影なさっています。
オオイヌフグリ、タンポポ、ホタルブクロ。。。
見たことはあるけれど、そんな名前だとは知らなかった、という植物のオンパレード。
失礼ながら、私なんて雑草で片づけてしまうものがいっぱいです。
それが、なんと美しいことか!
毎朝、ウオーキングをなさるのだそうです。
重いカメラを持って、ゆっくり歩き、ふっと地べたの植物に目をやり、おもむろにカメラを取り出して、地面に膝をついて撮り始める。
よくもま〜、気づくものだ、と感心します。
ご本人は、腰が曲がっているから、見つけやすいのかな、なんて笑っていらっしゃいました。
驚いたのは、買ってきた椎茸やなめこに竹串をさして立たせ、撮影すると、なんと胞子が飛んでいるのが見えるのです。
そのさまは、まるでオーロラのよう。
「キレイでしょう!」ってニコニコなさっていました。
そこにあるのだけれど、多くの人は気づかない。
そんなものに、心の焦点を当てるからこそ、その美しさや健気さが見えてくる。
そして、それを私たちにも分けてくれる。
「人生って楽しいよね!」ってニコニコしながらおっしゃる御年82歳。
皺がいっぱいのそのお顔は本当に素敵でした。
奥様の「野菜人形」も素晴らしい!
そして、それを埴さんが撮影した写真には、なんというか愛が溢れていました。
埴さんのHPはこちらです。
「LOFT」の項目に、奥様の野菜人形の写真も入っています。
人はそれぞれ、心の焦点を当てる場所が違います。
同じ人でも、タイミングによって、刻々と変わります。
どこに焦点を当てるか、それって、幸せな人生を生きるかどうかにおいて、本当に大切なことだな、と改めて思わせてくれた、埴さんでした。

2
1 | 《前のページ | 次のページ》