2013/2/22
久しぶりのオシャベリ会を開催させて頂きます。
3月9日(土)13:30−16:30 場所は目黒です。
オシャベリ会を開くのは今年初めてで、前回は昨年10月でした。
なんと約5か月ぶりです。
その間、私にもさまざまな事がありましたし、また、新たなる勉強もいっぱいしました。
3月9日で語呂合わせっていうのもあるのですが(笑)、サンキュー(感謝)というのは、私の今の気分そのものです。
今、生きていることにみんなで感謝する会にしたいと思います。
具体的には。。。
●2013年は、社会も私たち個人も、大きな変化が形に現れてくる、動乱の年になるでしょう。
そういう年を、どういう心持ちで生きて行こうか、っていうオシャベリをしたいと思っています。
●そして、また、各人によって違う、今の人生での役割、その見つけ方、についても話したいと思っています。自分にはハッキリ見えなくても、案外ほかの人には見えている事が多々あります。お互いにサポートし合う、そんな場になるでしょう。
●ご参加くださる方々、それぞれに、その時のインスピレーションをお伝えします。(アカシック・リーディングのセッションではないので、ご質問に対して情報を取る、というような形ではありませんが、私の口から何が飛び出すかは当日のお楽しみ♪)
●最後に、誘導瞑想である「場」に行って、みんなそれぞれに宇宙に対して(なんに対してでもOKですよ。)感謝しましょう!
いつものように、みんなでケラケラ笑いこける、楽しい会になりますよ
☆日時:3月9日(土)13:30−16:30
☆場所:目黒駅から徒歩4分(ご参加の方には、詳しい場所をご説明します。)
☆参加費:3,900円
☆申し込み方法:こちらからお願いいたします。
2013年はいよいよ本番です。
自分本来の大きな流れに乗って行きましょうね!
初めての方もどうぞ気楽にご参加ください。(肩が凝るような難しい会ではありませからご安心を。)
お会いできるのを楽しみにしておりますm(__)m

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2013/2/20
私の言いたいことが、ちょっと説明不足なので、もうちょっと書きます。
さきほど「役割」は大きな意味で「人生の目的」という理解でもいいと思っている、と書きました。
でも、狭い意味だと、「役割」っていうのは、さきほど書いた、それぞれ違う「人生の道筋」っていうことです。
これが明確化してくると、人生の苦闘が減ってくると思います。
道筋というからには、目的地があるわけです。
どこへ向かって歩いているのか全くわからない状態だと、お先真っ暗ですよね(笑)
カーナビだって、目的地を入力してください、になっちゃいます。
だれでもその時点での目的地っていうのを心の奥底では知っているのではないでしょうか。
ただ、自分の心にある雑音が多すぎて、何が何だかわからなくなってしまう。
だから、じっと心を澄ますと、何となく浮き上がってくる。
それは、必ず、それに思いを馳せるとワクワクするというか、強く惹かれるものであるはずです。
そして、また、もしかすると、その目的地にほぼ到達した、と思われる時点で、次の目的地がわかってくるかもしれません。
そういう繰り返しなのかな、と思っています。
自分は今、どの目的地に向かって歩き出そうとしているのか、あるいは歩いているのか。
これを知るのはとっても大切だな、と改めて思った今日でした。

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2013/2/20
「役割」ってことについて、これの前にダラダラ書いたのですが、大きな意味では、「人生の目的」っていう理解の仕方でもいいと思います、(あくまで私の言いたいことは、ってことです。)
この前のブログを書いた後、改めて考えていました。
私は、人生の目的っていうのは、誰にとっても、本来の自分とどれだけ繋がって生きるか、って事じゃないかと思っています、
もちろん、自分は自分なのですから、すでに繋がっているというか、それである、ということではあるのです。
ただ、それを忘れている、隠して狭い所である自我で生きている、ということなのでしょうね。
だから、思い出す、という言い方でもいいし、あるがままという言い方でもいいのでしょう。
カバラを学んでいる人でしたら、イエソドを超えて、ティレフェレットで生きるという言い方がわかりやすいでしょう。
100%本来の自分で生きるようになったら、多分、わざわざ人間でいることもないのではないでしょうか。(もちろん、あえて人間をやる魂もあるでしょうが。)
つまり、本来の自分の輝きを垣間見る時もあれば、また雲に隠されたような状態に戻ってしまう、っていう繰り返しをする人間が多いのではないでしょうか。
そして、その輝きを見ている時間が多くなればなるほど、「幸せ」であるのじゃないでしょうか。
とまた、なんだか小難しいことを書いていますが、その目的にいたる道筋は一人ひとり違うのじゃないかと思っています。(当たり前ですけどね)
だから、自分にとっての歩く道っていうのは、ほかの人をまねるわけにはいかないし、自分がその道を見つけて、自分が歩かなければならないんですよね。
もちろんガイドブックもあるし、ガイドだっています。
だけど、どんなに素晴らしいガイドブックを事前に読んでいても、実際に歩けば、ウワ〜ッ
ってことも起こります。
どんなに優秀なガイドがついてくれていても、実際に歩くのは自分です。
ガイドはその道を歩いたことがあっても、別の人にとっての感じ方は違うわけです。
だから、アドバイスはできても、代わって歩くことはできない。
そして、自分が歩くからこそ、達成感を味わうのも自分なのですよね

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2013/2/20
役割ってことを改めて考えています。
役割って言っても、ロールモデルとかに使うロールではなくて、ミッションの方。
ミッションていうと使命なんていう訳もあるので、なんだか重い気がしたりします。
でも、そういう重さは全然必要なくて、やっぱりやっていて生きていて、充実感を感じるというか、イキイキできるというもの。
当たり前だけれど、人によって本当に違うのだな、と思います。
そして、ほかの人を観察していると、何となくわかっちゃう(気がする)のに、当の本人は全く自覚していない。
アカシック・リーディングをしていても、実は自分の事が一番わかりにくい。
やっぱり期待だったり、怖れだったりのマインドが濃く入ってしまうので。
と、また脱線しましたが、この人の役割はこうなんじゃないかしら?
そういう風に生きると、もっとイキイキとした人生になるんじゃないかしら?
なんて思う事があって、チラッと言ったりしても、本人は「エッ!そんな!私には無理です!」っていう答えが返ってきがちです。
気持ちはよくわかります。
きっと自分も同じことをやっているのでしょう。
どんなに凄い人にアドバイスしてもらったとしても、本人が痛いほど身に染みるような体験をして((-_-;))、自覚して、決心して、そう生きていく、っていう道なのかもしれませんね。
そして、後になって、あ〜、そうだよね、あの時、あの人にこれこれの事をアドバイスされたんだっけ、と思うわけです。
自分を思い返すと、そうやって、痛い目に合いながら、本当に一歩一歩進んできたな、と思います。
天啓が降ってきて、それで突き抜ける、なんていう人生ではありません。(少なくとも今のところは(^_^;))
この歩き方もこれまた人によって違います。
痛い目に合って身に染みてもなかなか腰を上げない私なんぞとは違って、サッサと鮮やかに風のように吹き抜けていく人もいます。
私の中でその典型のような人が、この人、アダム・マクリード。
世界的に有名なヒーラーですが、かつて10代だった頃は、「ドリームヒーラー」として有名になり、本名は明かさず「アダム」とだけ名乗って写真も公表していませんでした。
世界中から押し寄せる患者さんたちに対応できないし、普通の高校生活を送ることができなくなる、というご両親の配慮があったようです。
大学生になって、自分で判断して、本名を名乗り、写真を公表し、大学の休みの期間にはワークショップを開いて、ものすごい数の人たちにグループヒーリングをしています。
分子生物学で博士号を取得し、結婚もし、今は「自然療法医」のメディカル・スクールに通っているようです。
生まれながらの凄まじいサイキックのため、自分が自然に普通にやってきたヒーリングというものが、こういう理屈、理論だったのか、ということをこのメディカル・スクールでの勉強で分かってきた、なんていうことをニュースレターで書いていました。
というわけで、今年のワークショップはその内容が画期的に変わるようです。
面白そうですね〜!
2007年にトロントで開かれたワークショップに参加したのですが、本のサイン会の時に間近でみたアダム君の目を見た時、心で「宇宙人だ!」と叫んでました。
もちろん、人間ですけどね
一歩一歩前へ行ったり後退したりしながら、苦労しながら道を進む私にも、私の役割があるのでしょう。
そして、人間の目をしていない(私見ですm(__)m)アダム君にももちろん大きな役割があります。
自分の役割を知ること。そして、それを生きること。
これが人生の目的なのかもしれませんね。
それにしても、今年はアダム君のワークショップに行きたいな、行くぞ!と思っている私です。
どなたかいらっしゃいませんか?

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