意識進化で、多次元世界を生きる
★それが本当の意味で人生を創造する秘訣★
相馬玲子のHP
リニューアルしました。↓↓↓
「意識進化」で、真に自由な、きらめきLIFE時代は、本当に新しいステージに入りましたね。
3次元の枠を飛び出して、
多次元を自由自在に生きられる時代。
鍵は、「意識の進化」。
無限の可能性を、自由に選ぶ、そんな生き方のヒントになれば嬉しいです。
2011/12/23
昨日の「ラブ☆スパイラル」では、様々な話題が出ました。
でも、どうやらキーワードは「自由」だったようです。
自由ということについて、どんなことを思いつくか、ということについて、ひとりひとりが心のままに一言ずつ感想を言う、というのがありました。
ある方が言った事が印象に残りました。
それは、「自由」というと責任を感じる。自分の人生を何かの誰かの人のせいにはできない。すべて自分の責任だから。みたいな内容でした。
そうなんですよね〜。
しなければならない何かがあると(あると思っていると)、ある意味、楽です。
だって、それをやるしかない、つまり自分で決めて選択する必要がないわけだから。
例えば、朝起きてすぐに会社へ行く。夜中まで働いて家に帰るとバタンと寝るだけ。どうかすると夜中に外国と電話会議をしている。また、翌朝起きて会社へ行く。休日出勤もしょっちゅうで、疲れ切っているから、休みが取れると寝ている。(実はこういう生活をかつて私はしていました。)
っていうような生活だったら、やらなければいけない事ばっかりの人生で、それに対応するだけで精一杯で、さ〜、何をしたいの?本当に望む生き方って何? なんて自問自答する余裕もない、つまり、考える必要がないとも言えます。
それが、何をやるのも自由。すべてを創りだすのは自分次第。(怒ってくれる上司もクライアントもいない。)なんてことになると、ハ〜。。。、私どうしよう
ってな感じになるものです。勿論、うまくいかない事を誰かのせいにするわけにもいかないし。
でも、そこからですよね。
自分を見つめる。
私って何? 私が本当に望んでいるのは何?
実は私、昔は、望まないことをリストアップする事はできるけれど、望むことがなんだかよくわからない、って時期が結構長期間ありました。
お客様に時々、本当に望んでいる生き方ってどんなのですか?って質問すると、ウ〜ン、って考え込んじゃう方って多いのです。
よくわかります。私もそうでしたから。
でも、それでもいいと思うのです。
私もまずは、望まないことを挙げていきました。
そうこうするうちに、今は、これが欲しいとか、これが好きだ、とか、NOTの方じゃなくて、ダイレクトに自分が望む方に自動的に意識の焦点が合うようになってきました。
どうもその方が、現実化が早いような気がします。(勿論、私の個人的感触です。)
でも、よくわからなかったら、まずは望まないことを挙げていく、ってのからやってみてもいいと思いますよ。
国家だったり、社会だったり、世間だったり、そういう実態がよくわからない「権威」が決めたことを、やらなければいけない事としてやっていても、今までは、ある程度は何とかなっていたのかもしれませんが、どうもそれは崩壊しつつあるようです。それも急速に。
そうなると、自分で選んで実行していく、「自由」ってのに早く慣れちゃった方がスムーズに行けそうだな〜、なんて思っています

5
2011/12/23
東京地方は今日も冬らしい寒い日です。
昨日の冬至の日はいかがお過ごしでしたか? 柚子湯? かぼちゃ?
今日は天皇誕生日。
そして、明日はクリスマス・イブで明後日はクリスマス。
25日のクリスマスの日は新月でもあるんですね。
今、この瞬間しかない、と言っても、やっぱりイベント好きな私です。
そして、何かをきっかけにしてもいいと思っています。
昼がまた長くなり始めるのでも、新月が終わるでも、なんでもいいから、新しい自分が望む生き方を始めたらいいよな〜、って思っています。
最近のマイブーム、は「制限外しゲーム」です。
全く何の制限もないとしたら、人間をやるのはちょっと難しいかも。
そもそも、この肉体がある(と思っている)ことが制限です。
肉体のまんまいきなり月に降り立つってのはどうも無理があるようです。(テレポーテーションできる人もいるのかもしれませんが。)
何かをやるのに、この肉体を動かし、行動することが必要、ってのも制限ですけど、それこそが人間をやっている醍醐味の一つなんじゃないかな、なんて思うのです。
ただ、今の自分が望まない制限はいらないよな、と。
「〜をしなきゃ」って思った時に、すかさずひっつかまえて、本当にこれをやらないと困るのだろうか?って自問自答します。
やらないでみる、という実験をすると、案外、全然OKだったりするのです。
例えば、「〜のところに行かなきゃ」と思った時に、ン?本当に行かなきゃいけないのか?って思い、ちょっと止めてみるか、って。そしたら、別の人が偶然(!)行ってくれてたので、私は行かなくても全然問題なし、なんて、そんなことが続出でした。
それから、「〜なんて絶対無理」」って思った時に、すかさずひっつかまえて、本当に無理なのか?って自問自答。結構、無理じゃないことがあるのがわかりました。少なくとも無理じゃない可能性があるって事がずいぶんあります。
自分が思う事をチェックする、ってのをやってみると、これまでのクセだったり習慣のままに、こんなにも自分を制限ばっかりしているのかって気づきました。
この制限は今の私を楽しませてくれる制限?って考えてみて、違うよな〜、と思ったら、今まで役に立っててくれてありがとう、でも、今はもういいわ、さよなら、ってあっさりと
ふと気づいたら、前より軽くなっている自分に気づきます。
まだまだこの「制限外しゲーム」楽しませてもらいます

5
2011/12/18
今日も東京地方はよく晴れています。
何とも平和な日曜日の昼下がりです。
2011年もあと2週間で終わりです。
今年はすごい年でしたね。いろいろな意味で。。。
もうすぐ冬至がやってきます。1年で1番昼が短い日。
そして、その日を境にまた昼の時間が長くなっていきます。
象徴的ですね!
そして、ゲリーさんの言う、ミッドポイントの始まりでもあります。
ゲリーさんの新しいメッセージがHPに掲載されていました。
http://www.garybonnell.jp/20111212message_from_gary.pdf
私の周りの多くの人たちが、今までの活動に区切りをつけて、新たな段階に入っていこうとしています。そのために、今はちょっと休息、みたいな人も多いです。
本当にまっさらな新しいページを開く。
実はこれ、毎瞬毎にやっていることなのだと思います。
継続していると思っているのは、ただ記憶の機能であり、自分の顕在意識がそう思い込んでいるだけ。
そういうプログラムを自分が採用しているだけ。
とは言っても、そのプログラムを削除する、ということにさえ気づかないでいがちです。
あるいは、わかっちゃいるけど、できない、やり続けられないとか。
だから、新しい時期に入るとゲリーが言っている、12月22日の冬至、でも、
暦上の2012年の始まり、でも、
自分(の顕在意識)にとって、わかりやすい、採用しやすいタイミングを区切りにしてもいいと思います。
誰かとか、何かとか、自分の外側の力(存在)にやられてしまっている、のではなく、自分がどう反応するかによって、創造がなされていく。(もっと言うと、すでにすべてのデータは量子のスープ(笑)に内在されているから、その中のどれに焦点を当てるか、ってことなのですが。)
それを、初めは知識としてでもいいから頭でわかる。
つぎに、それを実験してみる。(ってか、常になされていることに顕在意識の焦点をあてる。)
体験として、身体で味わう。
それを、やり続ける。
っていうことなのかな、と思います。
こういうことを、顕在意識でも理解し、当たり前のこととして、自分が喜びを感じる世界を創造しながら生きていく。
ってのを、やる人たちとやらない人たちがますます明確に分かれてくるのかな、なんて思っています。
別に、どちらが良いとか、悪いとか、正しいとか、間違っているとか、そういうことじゃありません。
ただ、自分が何を選択するか、というだけ。
と、ここまで書いてきて、こういうことを今度の「ラブ☆スパイラル」で喋ろうと思いつきました。(実は、今回は何を喋ろうか、全く何も思い浮かばなかったのですが。)
もちろん、これは私が個人的に考え、思い、感じていることですから、それがすべての人に当てはまることだ、なんて思っていません。
なんだかセールス・トークみたいになっちゃって、ちょっと気恥ずかしのですが、こういう考え方に何となく共感する、聞いてみたい、って方はどうぞおいでになってください

5
2011/12/11
東京地方は昨晩は晴れていたので、バッチリ観ることができました。
ダウンコートに毛糸の帽子。分厚い手袋をして、フリースパンツを履いて、靴下も重ねて。完全防備でベランダ。
満月がドンドン欠けていく。そして、明るい部分が小さくなっていくにつれて、赤みを帯びた満月部分が見えました。完全に消えた時、そこには赤い満月がちゃ〜んとありました。
そして、また、少しずつ明るい部分が見え始め、満月に戻っていく。
ちょっと外へ行ってみると、結構な数の人たちが夜空を見上げていました。
そこをスピードを出して走り抜けていくタクシー。
観た人も観なかった人も、観たくても天候で観られなかった人も。
面白いな〜、と思うのです。あの天体の現象をどう捉えるかは人それぞれです。
そして、その捉え方によって、また現実の現れ方が違ってくるのかもしれません。ほかのすべてのことと同じに。
私は自分のリセットという風に捉えました。
それまで持っていたもういらないと思うパターン。例えば、悲しんだり、苦しんだり、辛かったり、そういう体験があるからこそ、喜びをいや増して感じることができる、っていうパターンをもういらないな、って。
そして、ただ喜びのうちに自分の成長を体験していく、って、また明るい満月に戻っていく時に決めました。
あら、そんなことやらなかったわ、残念。って思う必要もありません。
今、やればいいだけだから。
すべては、今のこの瞬間から創られていくのだから。
実は連続性なんてないのです。ただ、そういう記憶があるだけ。
だから、いつでもこの瞬間に、自分の望む宇宙を創りだしていけばいいんですよね

6
2011/12/6
もう20年以上も前のことになります。
忙しく働く毎日だった私はちょっと疲れて南の島へ行きたくなりました。
でも、休みはそんなに取れないし、近場のサイパンに週末+1日休みを取って1人旅をしました。
何をすることもなく海岸でゴロゴロしたり、海でポチャポチャ、あとはボ〜ッ。
最後の日の朝にちょっとだけ時間があったので、また海に行きました。
最後に海に浸かろう(泳ごうじゃないんですね〜、ものすごい遠浅だったし、私は泳ぐの苦手だし)とポチャポチャと。
突然、本当に突然、ものすごい嬉しさみたいなものが自分の内側から溢れ出して来ました。
別に、とてつもないハンサムがそばに出現したわけではありません。
広い海に私1人でした。
海はキラキラ光り輝いて、空も真っ青で光り輝いて、そこいら中なんだか光の饗宴みたいでした。
そして、私は猛烈に幸せで、嬉しくて、遠浅の海でポチャポチャ泳いで海と戯れながら、声を出して笑っていました。(周りに誰もいませんでしたから、医者を呼ばれることもありませんでした(笑))
何で突然、喜びが溢れ出したのか?、とか、なんで見えるものがいつもとこんなに違うのだろうか?、とか、普段の私だったら絶対に考えるであろうことも全く思いつきもしませんでした。
ただただ、幸せで、周りのキラキラ光り輝く海と戯れながら、コロコロと笑っていました。
そんな状態が1,2時間続きました。泳ごうが、歩こうが、何をしようが。
残念ながら、あの時のあの体感、その後はまだ訪れません。
でも、あの強烈な感覚は今も鮮烈に覚えています。
前に、私がこういうこと(どういうことだ?)に興味を持つ前のまだ忙しい会社員をやっていたころ、友人(かなり昔からアヤシイ人です)と話していて、彼女が「至福体験ってあるでしょ?」ってさりげなく聞いてきました。
私は、ハ〜。。。
でしたが、そのサイパンでの体験を思い出して彼女に話すと、彼女は「ホラね」ってただニコニコしてました。
こういう体験、多くの方があるんでしょうね。
アセンション、ってどういうものか私にはわかりません。
多くの方がそれぞれの説を唱えていらっしゃいます。
ただ、ああいうただただ、幸せ、喜びが溢れて来る状態が日常になる、っていうのなら素敵なことだな〜、と思うのです
(カバラで言うところのティフェレットで生きる、ってことなのでしょうかね?)

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