10年前に神奈川は夏の大会の出場枠が2校となり、東と西に分けて大会を開いた。
横浜地区に強豪校が多く、不公平ということで、今回は南北に分けたらしいが、これも南大会は横浜高校がかなり有利と言われていた。
それに比べ、北地区はかなり混戦模様だった。
13回、4時間20分近くの激闘、逆転、同点、一打サヨナラの連続であり、トレーニングに行く時間がなくなった。
甲子園の県予選をこんなに一生懸命に見るのは、久しぶり。
なぜなら慶応高校が出ていたからである。13年前の95年も決勝に進出したが、惜しくも敗れた。
慶応高校の上田監督とは、85年4月から88年3月まで、慶応高校の野球部監督して、呼ばれるまで、同僚だった。
彼とは部活後、よく食事に行ったり、遊び??に行ったりした。
クリ家で行った、数少ない家族旅行もその一つである。
当時からユニーク(決して悪い意味ではないですよ。unique の英語の意味を調べてください。)な野球理論で、先日、クラス会をした生徒達も彼に英語??を習い、野球部に入っていた者もいた。
その学年の野球部が、同じ学年の者達といまだにチームを作って早朝野球をやっているのは、上田さんの影響が多いと思う。
慶応高校の野球部のHPhttp://www.hs.keio.ac.jp/clubs/baseball/ を見れば、分かるが、エンジョイベースボールというのが、合い言葉で、推薦入試と言っても、スポーツ枠がない。
部員は120人位いるらしいが、野球の素質という面では、他の有力私立高校とは比べものにならない。 野球未経験者も入部してくる。
他の有力私立高校のようにセレクション入学してきた者でなければ、入部できないということはない。
まさに文武両道!
その慶応高校が、99%は東海大相模に輝くはずの優勝を、試合では耐えて、耐えて、勝ち取った。
9回の2点ビハインドで、代打を送ったが、その選手は、監督の期待に答えて、ヒットを放ち、それがきっかけで同点となった。
延長後は、一打サヨナラの場面が続いた。東海大相模のショート3番の選手を2回敬遠したが、それは当然の作戦である。
延長何回か忘れたが、慶応は1死1・3塁で、4番に初球・スクイズ・・・!はずされて、アウトなったとき、上田さんらしくない采配だと思ったが、彼も勝利インタビューで反省していた。
普通は、こんなことをすると勝利の女神は飛んでいくのだが・・・。
ワクワク、ドキドキ、そしてとっても嬉しい決勝試合であった。
慶応の選手も敗れた東海大相模の選手も、いきいきとしたすばらしい顔をしていた。
上田監督の勝利者インタビューの最初の言葉
「ベンチに入れなかった3年生が、先乗りスコアラーとしてがんばってくれたおかげです。ありがとう。」
ウエちゃん、格好よすぎる! 本当におめでとう!

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