宮脇昭さんの「いのちの森を生む」のはじめの中に次のような文章がある。
人間は消えても森は育つ。しかし森が消滅すれば、人間は生きていけない。緑の植物は生態系で唯一の生産者であり、その凝縮した森は、人間のみならず地球上のすべての生物の生存基盤である。われわれが生きていくために絶対に不可欠な森との深く多様なかかわりを、もう一度見直す必要がある。
宮脇昭さんの事は先日の日記で書いたが、この「いのちの森を生む」を読んで、森や木に対する断片的な私の知識がつながった。
1)その土地の潜在自然植生を知り、その土地に合った木の森を作る。
日本の森はかって大部分が冬も緑の常緑広葉樹林(照葉樹)であった。
関東以西の海抜800メートル以下、関東以北の釜石の北、山形県の酒田市までは常緑広葉樹林のタブノキ、シロダモ、ヤブツバキ、マサキの森だった。
丹沢山地のブナ林は海抜800メートル以上で現れることが納得できた。
2)常緑広葉樹林のシイ、カシ類、落葉広葉樹林のコナラ、クヌギ、アベマキ、山地の主木のブナ、ミズナラ、カシワ類にはドングリがなる。
人間も含め、ドングリは動物たちの食料であった。これらの木が植林によって、スギ、ヒノキなどに代わり、エサ不足になった熊たちが人間の居住地域までやってくるようになった。
スギ、ヒノキによる花粉は以前から飛んでいたが、常緑広葉樹林が日本の大部分を覆っていたために、花粉が広く拡散しなかったので、昔は花粉症がなかった。
3)競争、我慢、共生のルール
生物社会は競争をとおして発展するが、激しい競争相手は、反対側から見れば、しばしば共存者である。我慢のできない生物は生きてはいけない。
動けない植物は、動物より生きぬくのが過酷だと思うが、生存競争は共生である。
4)エミリー・ブロンデの小説「嵐が丘」に出てくるヒースは自生の所もあるが、ほとんどは過放牧による人間の活動による森林の貧化、退行による土壌の酸性化である。
このような所では草しか生えない。
5)雑草は本来、競争力が弱く、自然状態では絶えず洪水で流される河辺や土砂が崩落する新しい土地に部分的、局地的、一時的に生存する物である。
植林されていない自然林の森の中は雑草は生えていないし、生えていたとしても大きくなっていない。
6)その土地の潜在植生樹林は鎮守の森を見れば、分かる。
昔の人は森の大切さを知っていたので、日本人は潜在植生樹林の森に神社を建て、木を切ることから森を守った。
近くの神社に行けば、かならずドングリの実がなる木があった。またそのような木は深根、直進性の根であるので、浅根、横根のスギなどのように台風などでは簡単に倒木しない。
たたりを恐れ、神社の木を切る人はいなかった。また江戸時代は、洪水を防ぐには上流に木を植えろという言葉があった。 枝一本、腕一本、 生一本、首一本という言葉があるくらい、江戸幕府は森を守った。
川の氾濫を防ぎ、自然災害から人々をまもることであった。
宮脇理論のポイントは、その土地の主要な木を3〜4種選定し、さらに20〜50種を混植、密植し、最初の3年間だけ、森の育成に携わるということだ。それ以降は、植物の競争、我慢、共生に任せる。
木材としてスギ、ヒノキなどの単一人工林は20〜30年間、人間が下草刈り、枝打ち、間引きなど、関わらないと育成できないが、外国からの安い木材の流入で、現代の日本での林業経営は難しい。
彼が作ろうとしている森は、あくまでも木材を利用するための森ではないのだ。
化石燃料を燃やし、二酸化炭素濃度をあげている人間活動は地球上のすべての生物に脅威をもたらしている。
森による浄化システム作りなのである。

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