先ほど、テレビで教育再生会議が公立学校の授業を週2回、増やすという提言をしたというニュースを放映していた。そのニュースの中で気になったのは、ヤンキー先生こと義家弘介さんの自信なさそうな顔つきと教育に競争原理を入れることを主張しているワタミの社長・渡邉美樹さんの得意げな顔つきである。
いわゆる企業の競争原理を公教育に入れると言うことは、私はとても危険だと私は思います。渡邉氏の今までの発言を聞いていると、まさに自分自身の企業の成功例が教育に当てはまるという過剰な自信を持ちすぎているように思うのです。
教育にも多大な貢献をしたSONYの創業者・井深大氏とは明らかに品格が違います。この教育再生会議の有識者、どのような基準で選ばれたかわかりませんが、日本の教育に禍根を残すような道筋をつけるような気がしてなりません・・・・。
昨日の日記「それでも星を見に行きたい」は今日の日記を書くために書きました。
金曜日、私は児童相談所のベテラン職員から実際の現場で起きている子ども虐待についての話を聞くことができました。
頂いた資料には、4つの分類がありました。1)身体的虐待 2)性的虐待 3)ネグレクト 4)心理的虐待 それぞれに英語で書かれていました。1) physical abuse 2)sexual abuse 3) neglect 4) emotional abuse
3)neglect はネグレクトとそのままカタカナで書かれていることに私はとても違和感を感じました。その定義は次のようになっています。
子どもの心身の正常な発達を妨げるような著しい減食、または長時間の放置、その他の保護者としての監護を著しく怠ること。
日本語にできないということは、最近までの日本の文化にネグレクトの当たる行為がほとんど無かったということを意味しているのでは無いかと感じたのです。
しかし、親が子どもを車内に残して、パチンコをして熱射病で死なせてしまうような事件は毎年、発生しています。最近もある母親が、2歳の子どもを一人で家に残し、スキー場に行って、焼死させるという痛ましい事故が起きました。でもこれが現実なのです。
このような無責任な保護者を作りだしてしまっている日本の社会・・ため息がでるばかりです。今の教育に一番欠けている部分は、このところだと思います。
教育再生会議の趣旨には次のように書かれています。
21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を図っていくため、教育の基本にさかのぼった改革を推進する必要がある。このため、内閣に「教育再生会議」(以下、「会議」という。)を設置する。
教育再生会議が求める「教育の再生」とは、「思いやりや優しさを育てる」という人間教育と言うより学力の向上を目指すということなのだと思います。
世界一の学力・・・さて学力とは何でしょうか??アベチャンをはじめ、この会議の有識者の方々にはもう一度考えてほしいですね。
話を戻します。
子ども虐待防止や教育再生の為には、地域の教育力再生ということを学者や有識者が唱えています。しかし、そんなことは現実的にありえないということは学者も児童相談所の職員も私も思っていることだと思います。
多くの子ども達にとっては、ゲーム機の存在は欠かせない時代になっています。我々の時代のように、放課後に学校の校庭で野球をするような少年達はいません。日本の学校教育を支えてきた部活動も全体的に見れば、縮小傾向に向かっています。
決して元に戻ることはないのです。教育だけではなく、地域社会も犯罪が増え、ますます不安定な方向に進んで行くと思います。私たちができるのは、その現実を受けとめることです。しかし、あきらめてはいけないと思うのです。何かが良くなることを期待して、少しでも工夫して良い方向に進めようとする努力を怠らないことだと思うのです。
たとえ眼が衰え、満天の星が見えにくくなっても、満天の星を見に行く、見に行きたいという気持ちを、持ち続けることが大切であることと同じなのだと思います。
追伸
実は親の子どもに対する性的虐待については、ここには書けないような反吐のでるような話を聞きました。今でも思い出すたびに気分が悪くなります。しかし、これが今の日本に起きている現実なのです。マスコミでは児童相談所の職員の怠慢で、子どもが親に殺されたというような話があります。中には不適切な対応があったと思いますが、多くはとんでもない親との対応で、時には生命の危険を感じさせられるような仕事をされているのです。
私もそのような経験はあります。そのようなとんでもない親というのは、ある意味、社会からつまはじきにされた人達です。私が危惧することは、公教育への競争原理の導入は、格差社会の広がりを助長し、アウトローの人々を結果的に作り出していくということです。その先には、社会を不安定にする人間の増大、すなわち犯罪社会を広げていくことになると思います。
教育再生会議のメンバーのほとんどの方々には、人格障害?の人に殺してやるなど恫喝された経験はないでしょう。彼らはある意味、そのような社会にいる人々とは接したことがないと思います。
「家にいても、少年院に行っても俺には同じだ。」と言っている少年に「後ろから刺してやる・」などと言われたら、防刃チョッキを買いたいと思いますよね。そのような事を言い、実際、暴行、恐喝をしている人間とは接したくありません・・・・。また、そのような人と知り合いたいなど思いたくもありませんが・・・・・。
競争原理というのは、勝ち負けをはっきりとつけるということです。社会に身の置き場のない少年、人間が増えていくでしょう。金持ちが犯罪から身も守るために、ガードマンを雇うようなある国のようになってほしくはありません。
最近の殺人、死体バラバラ事件を考えると彼らはそれまで社会からつまはじきにされていた人達ではありません。人間を切り刻み、捨てるという行為は人間としての理性、感情をつきやぶらないとできない行為です。
教育再生とはまさに思いやりや優しさのある人間を育てることだと思います。そこに重点が置かれなければ、まさに亡国の時代になるのです。
それにしてもあの社長の得意げな顔・・・・、気に入りません。
写真は昨日のナイタースキー帰りに、通った河口湖の花火大会です。なんで今頃???


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