壊れかけのテープレコーダーズ Official Web Site
http://kowarekake.com/

小森清貴 solo Album『カトレア』発売中 詳細

小森清貴 Twitter @kiyotakakomori
連絡先 kiyotakakomoriofficial@gmail.com
2016/9/12 | 投稿者: komori


 なんてことはない、特筆すべきところのない楽曲だと思う。だけれども、こういう楽曲こそが壊れかけのテープレコーダーズの真髄とも言えるのかもしれない、もしかしたら。

 男女ヴォーカルが過不足なく織り交じり、でいて、やっぱり、メロディー、ああ、そうだ、結局は自分はメロディーが好きなんだなあと思うし、メロディーを作り出したいんだとも思う。

 そういう意味では、この曲は何らそれまで僕らが試してきたものから逸脱するような方法論は何もしていないかもだけれど、でも、それでいいんだとも思う。

 僕らはなんせアフター・ザ・ゴールド・ラッシュの更に遥か先の時代を生きているわけだし。

 夢は、とうの昔に、終わったんだよ。

 その、果てに残るもの。

 それだけをずっと考えていよ。
1

2016/9/11 | 投稿者: komori

 この曲もまた「idiot o’clock」というかつて現存したバンドから、その名をタイトルに拝借。こんなことばかりしていて大丈夫かしら。某人気グループのような問題に発展しないといいが。しないか。(笑)

 サビのメロディー、歌詞だけが、ずっと昔からあった。それこそ10年前くらいから。「あの時、流れなかった涙が、今頃流れるなんて。馬鹿だな」というのは、手塚治虫『火の鳥 鳳凰編』の最後の方の場面で、主人公我王の「あの、手を斬られた時に出なかった涙が・・・」という台詞から着想を得ています。

 誰しもにある、仕官の経過による、気持ちの流転、またそれにより生じる後悔の念。今、として掴み取るべきだった現在は、時に無残にも未来に持ち越され。気付いた時には現在は過去とし記憶の奥底に埋め立てられ、想起は出来ようとも、それは感覚としての今を再び取り戻すことは出来ない。

 白痴のような狂った時計の針はもう戻らないものです。

 曲調はDJシャドウとか、トリップポップの影響。なるべく時間間隔を麻痺させるようなビートにしたかった。


 これも動画はないので、せっかくなんでバンドのidiot o’clockを。



0

2016/9/10 | 投稿者: komori


 「virgin insanity」っていう、70年代初頭のアメリカにて数年間のみ活動した男女ヴォーカルのグループがいるんだけど、そのバンドが好き過ぎて、曲名にしてしまった曲。当時の彼等の活動はと言えば、自主盤のアルバムを2枚作り、それをまあ親しい間柄に売るっつーか、配るくらいな、まあ音質や演奏力もかなりアマチュアで、で、それをグループが消失して長年を経た後、アシッドフォークとかそういう筋のコレクターが発見し、再発され、伝説の…呼ばわりされ、日本でもCDが出て・・・、という、よくある話ではあるんだけど、

 そういう作品って最終的にはやはりその詰めの甘さから飽きがきてしまって、大概のレコードは売り裁いてしまったんですが、このグループだけはなぜか特別に大好きで、儚く頼りない男女ツインヴォーカルのハーモニーは、壊れかけ結成に至る決定的な方向性の示唆を当時の自分に与えた。要は、彼等をパクリたかったのだ。

 ただのvirigin insanityの話になってしまいましたが、この曲の制作のイメージは若き日の焦燥感っていうのかな。実際のこのグループは当時恋人同士だったヴォーカルの男女が、破局と共にあっけなくその歴史に幕を閉じた事実をテーマに、歌詞は書いた。

 そういう、あたりまえに、誰しもにある、はじまりの中にひそむ終わり、はじまりの中にひそむ狂気の歌。若さは時に残酷になしくずし的に、地獄へと向かうものなのかもしれない。

 せっかくなんで実物のvirgin insanityの曲でも。


1

2016/9/8 | 投稿者: komori

 前作『broken world & pray the rock ‘n roll』の制作後に、はじめて作った曲。まあ当時のまた新たなはじまりのための心機一転の曲というか、なんでこの曲は本作の1曲目以外にはないだろうと、前々から構想していた。

 なんでこうなったかよく思い出せないアレンジメントであるが、時間軸と共にパズルのピースが組み上げられていくかのような展開を取るのは、歌詞とも相まって効果的なアレンジだったと思う。

 一見、自分にしては珍しく「僕」「君」が頻出し、別れの曲のようでもあるが、この「僕」「君」は、瞬間や音楽のことでもあると思う。いつだって音楽を奏でるその瞬間は、捉えようと思うその時はもう去ってしまうものだ。決して、待ってはくれずにね。

 結局、そのスピードにどれだけ辿りつけるのか、ということだけを、多分永年にやり続けるのだと思う。


動画は古いです。
0

2016/9/8 | 投稿者: komori

 かなり久しぶりのブログ更新です。

 今年の夏は、大森靖子とともにあった。なんせ、日本主要夏フェスのその殆どに、それこそほぼ毎週出演するという、後にも先にもないような、凄まじい夏であった。いや、後にはなくとも、先にはあって欲しいか、あらねばならぬな。

 そして、最後の夏フェス出演となった先日のBAYCAMPで、ラストに靖子さんが両手を開き十字架の形のままステージを見つめ、そのまま背中から客席にダイヴした瞬間、自分の中での今年の夏が終わった。それは意識の変化、覚醒、明らかなる過去未来の断絶の瞬間とでも呼べばよいだろうか、過去は過去として夏と共に葬り去られ、無数の現在が未来を模っていく刹那。脱皮のその亡骸を捨てよと、未来は時に残酷に呼びかける。だから、本当は未来には何も残らない。

 そしてロックミュージックとは、そういうある種の残酷性のもとにおいてのみ、成立するのではないかと。史実が語るように、それは伝承のようでいてやはり伝承とは決定的に違う、分断からの派生と更新により今日まで生きながらえてきたものなのではないかと。未来へ向かうためには、犠牲が必要なのかもしれない。その犠牲のスケープゴートとは、昨日までの自分なのかもしれない。

 だから、十字架だったのかも、しれないな。
0




AutoPage最新お知らせ