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領域の問題

2012/11/21 | 投稿者: komori

「植民地」、についての書籍を呼んだり、調べたりしている。人間の戦争の歴史とは概ねこの「植民地」思想、即ち「領域」「領土」を発端としているものである。言うなれば私達は太古の昔から陣取り合戦を繰り返しているということになる。

この「領域」という問題を考えた時、それは「ここ」と「そこ」とが別の場所、空間、そこに線引きがされているからこそ、「そこ」を「ここ」に吸収、合併せしめようという事態が生じるわけで、すべてが同一、単一の「ここ」ならば、人間に争い事は起こらないのではないのかな。言い換えるならこれは「自」と「他」という差異のことでもあるけれど、この分別の発想が、個々が自我を獲得すると言うこと自体が、憎しみや妬みを生む発端であるのだと思う。

そこでまた聖書の話に辿り着くのだけれど、エデンの園でイヴが食した「知恵の実」によってもたらされたものというのが「自我」であり、「分別」であったということは興味深い。(アダムとイヴは自身の裸体に羞恥を覚えた。それは互いが違う人間だと言う自我の分別が芽生えたがために起こったものだったという)

分け隔てられたが故に、世界の事象は「対象」と化し、そこから後天的に「征服」というものが生まれる。誰もが奪い返そうとしているのだ、かつて単一、同一であったはずのものを。だが彼等が求める桃源郷の秘宝のようなものは、もはや具現的な実世界には存在しない。この世に生れ落ち、単一の自己を持つということ自体が、そういった全体論的なユートピアの喪失の現われでもあるからだ。

だから我々の争い事は常に空虚だ。正等、正義を抱えた点在する自己が、ただ無方向に、床にばら撒かれた無数のパチンコ玉のように、衝突を繰り返しているだけのような、そんな空虚さの中で、今日も誰かが誰かを傷つけるのだろう。
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