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小森清貴 solo Album『カトレア』発売中 詳細

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うつりゆくもの

2010/5/30 | 投稿者: komori

ある人とゆっくり話をした。

ずっと風景とか天気、あるいは感覚とか気分とかに思いを巡らせている。ひとつとして定点を持つものはない。それが世界のあるべき姿かもしれないのに、僕等の世界は、そう世界と発した以上、その世界の枠組みが形成される。ことばはまるで契約のようだ。外部からの明確な論証なんて出来やしない。ルールを形成するルール…というループ…堂々巡り、合わせ鏡のような…を回避する、暗黙の認識があるようだ、どうやら僕たちには。確かに語のもつ意味が風景のように移り行くのなら、僕等のコミュニケーションとはいかなるものになるだろうか。変わり行くよ、とかつての自分なら反論をしたかもしれない。でもそれはきっと文脈とかパラダイムとか、そういったものに依拠した語の変貌ってやつだった。でも、それだと背景を形成するものの発端には確固たる土台があるが故にってことにもなってしまう。そうじゃなくて、たった一語の持つ強度が、森羅万象を「現す」のではなく(なにか奥底にあるものを現出させる、ということではなく)、そのものになるような、ことを考えていた。移り行く景色の中で、恐らく感知できる瞬間と言うのは大よそ無限に近い。だけど、その大半をオミットし、効用性のあるいくつかだけをチョイスすれば、人格なんてものはいとも簡単に形成できるのではなかろうか。それこそ、上記のことばの契約と同様のことのように。そうやって僕は岩石ではないと、僕は流木ではないと、海草ではない、ヤドカリではない、僕は君ではない、と言い切れる。それは正常な人格者の意見だと思う。僕がまたそうであるように。ただ、時折全ての過去が断ち切られ、未来のあらゆる可能性が現在へと回収され、要領が臨界点に達した現在はパンクし、木っ端微塵になる、それはどういう時制に該当するのだろうか?少なくとも進行形ではない。何かに向かうベクトルを持つと言うことはしないが、かといってそこに留まることはない。風景や天気が、それこそどこへも向かわないが、そこにはもう、いないように。君の言う感覚とか気分っていうのは、こんなことなのかな。


う〜ん、朝になってしまった
今日はライヴだが、その前にバイトが…
朝の陽に飛び込むように、音楽の中に飛び降りたいなあ。
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