2020/6/15 | 投稿者: komori
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遊佐さんと横浜桜木町の喫茶みなとという場所へ、AZUMIさんのライヴを観に行った。時勢柄か、大々的な宣伝はされていなく、氏のTwitterでひっそりとツイートされていたのを、遊佐が検知した。ライヴを観に行くという行為は、実に約3ヶ月ぶりだった。東京に出てきてから、こんなにもライヴから遠ざかった期間はなかった。
ライヴはそれはそれは素晴らしかったのだが、敢えてその感想はここには書かないことにする。その日、その場所、その時間にしか味わうことの出来ない体験というものが、時にある。事後にことばで転嫁することが、どうにも蛇足に思えてしまうよう。心の中にだけ留めておきたい光景。昨日がまさに、そんな夜だった。
ひとつ確かなるものは、ライヴとは生き物である、と。そして恐らくどんなにテクノロジーが発展したとしても、オンラインでその生き物と触れあうことは、出来ない。
観客が歓喜のあまり歌い出したり、踊り出したりする行為は、沸き上がる純粋な生の躍動そのものである。人が、いや神すらも、その躍動を禁じることはおろか、止めるということすらも、できないだろう。魂と魂がぶつかり合う場所に、アクリル板を設置することは、出来ない。
解き放たれろ、と己を鼓舞した、夜。
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遊佐さんと横浜桜木町の喫茶みなとという場所へ、AZUMIさんのライヴを観に行った。時勢柄か、大々的な宣伝はされていなく、氏のTwitterでひっそりとツイートされていたのを、遊佐が検知した。ライヴを観に行くという行為は、実に約3ヶ月ぶりだった。東京に出てきてから、こんなにもライヴから遠ざかった期間はなかった。
ライヴはそれはそれは素晴らしかったのだが、敢えてその感想はここには書かないことにする。その日、その場所、その時間にしか味わうことの出来ない体験というものが、時にある。事後にことばで転嫁することが、どうにも蛇足に思えてしまうよう。心の中にだけ留めておきたい光景。昨日がまさに、そんな夜だった。
ひとつ確かなるものは、ライヴとは生き物である、と。そして恐らくどんなにテクノロジーが発展したとしても、オンラインでその生き物と触れあうことは、出来ない。
観客が歓喜のあまり歌い出したり、踊り出したりする行為は、沸き上がる純粋な生の躍動そのものである。人が、いや神すらも、その躍動を禁じることはおろか、止めるということすらも、できないだろう。魂と魂がぶつかり合う場所に、アクリル板を設置することは、出来ない。
解き放たれろ、と己を鼓舞した、夜。
