2015/1/22 | 投稿者: komori
15歳で滅びなかった世界の続編は、ドント・トラスト・オーバー・サーティーと中指を突き立てたそれよりも、案外ずっと輝きに満ちているものだったように思える。指折りに数え待ちわびる気持ちさえ忘れなければ、きっと世界は永久にそういうものなのだろう。歳月のことを思うと、経年から生じる身から出た錆すらに美しさを感じてしまうのは、ちょっと耽美過ぎるだろうか。けれども、朽ち果てながらも進む船があり、壊れかけながらも止まぬ音がある。いくつもの最期と鉢合わせになりながらもまだ身を引けぬのは、自らの蒔いた種がちゃんと芽吹いている瞬間を、この間名古屋の若者たちの蒼さの中に垣間見たから。
ロックンロールとは何か、それが少しだけわかった気がした、2015年1月22日の明け方。今日はとっておきのワンマンライヴ。僕らの、みんなの、「go to the next」になれたら。
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ロックンロールとは何か、それが少しだけわかった気がした、2015年1月22日の明け方。今日はとっておきのワンマンライヴ。僕らの、みんなの、「go to the next」になれたら。


2015/1/14 | 投稿者: komori
先日U.F.O CLUBにてDMBQを観て来た。昨年夏のMETEO NIGHTの時の再始動ライヴの際は、松井さん龍一さん不在の事実に狼狽しそのまま時が経過してしまいまともにライヴを凝視出来なかったが、改めて、今回久々にまた観て、今回もやはり松井さん龍一さんはいなくて、でもDMBQはDMBQなんだ、俺の十代の頃からのロックヒーロー、日本が世界に誇るバンドDMBQは今尚健在なんだ!と思った。
それはどういうことかと言うと、増子真二がイコールDMBQなのではなく、DMBQというマザージップに増子さんもまた乗っかってる、一乗り組み員なだけなんだと。
似たようなことを、ボアズの石原さんも言っていた。自分もスイセイノボアズを辞めてもよかったが、残り留まり、作品の続編を作り続けてくことにした、みたいなことを。
名称だけが、残るのだ。個人、というものは然程大きな問題ではないのかもしれない。
「名称」=「バンド」その有機体的な母船だけが生き永らええ続ける。
壊れかけのテープレコーダーズというはなっから半壊したような箱舟に乗り、早8年の歳月が経とうとしている。
1/22、新代田FEVERっていう、ちょっとばっかし大きな海に、
今回は航海に出てみようと思う。
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それはどういうことかと言うと、増子真二がイコールDMBQなのではなく、DMBQというマザージップに増子さんもまた乗っかってる、一乗り組み員なだけなんだと。
似たようなことを、ボアズの石原さんも言っていた。自分もスイセイノボアズを辞めてもよかったが、残り留まり、作品の続編を作り続けてくことにした、みたいなことを。
名称だけが、残るのだ。個人、というものは然程大きな問題ではないのかもしれない。
「名称」=「バンド」その有機体的な母船だけが生き永らええ続ける。
壊れかけのテープレコーダーズというはなっから半壊したような箱舟に乗り、早8年の歳月が経とうとしている。
1/22、新代田FEVERっていう、ちょっとばっかし大きな海に、
今回は航海に出てみようと思う。


2015/1/6 | 投稿者: komori
正月三が日の怠惰な生活のためか、どうも昼夜逆転してしまう。誰しもが心当たりがあるだろうが、概ね明け方4時5時くらいの思考というものは当てにならないことが多い。音楽のBPMが心なしか早く聴こえるのは、アルコールのせいだけではないはず。身体と感覚と時間帯というものの密接な関係性をもうちょっと掘り探りたい。またオールナイトイベントを今年も企画したいなと思う。後々後悔しそうだな、こんな時間の文章ってやつは。だがしかし我々の感覚のデフォルトとは何か。自らの中に生じる感覚の違和と覚醒というものは、時折創作の大いなるヒントになったりもする。真昼の振る舞いのみが人間の本性ではない。
意識の最深部に降り立つなら、明け方が相応しいように思える。
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意識の最深部に降り立つなら、明け方が相応しいように思える。

2015/1/5 | 投稿者: komori
90sロックが好き。ここ最近またそれを再認識している。自分の洋楽のルーツはビートルズを両親が聴いていて…でもなければ、中学時代全盛だった西海岸系の陽気なメロコアでもなく、後追いで聴いたニルヴァーナであり、レディオヘッドの「クリープ」だった。その原初体験が15年の月日を経てまた心臓のど真ん中に響き渡る。
あれから随分といろんな年代のロックミュージックを聴き漁ったものだけれど、グランジやオルタナと呼ばれるバンドにシンパシーを覚える所以は、それらがある種の諦念からはじまっているから。69年のウッドストックのロック幻想と、ニルヴァーナやダイナソーJrが描いてた世界像は、全然違うと思う。この話は長くなるので詳しくはまた追って記そう。とにかく、何度めかの死刑宣告を受けた大文字のロックの瓦礫と残骸の中に見えた、望みと呼ぶには荒廃し過ぎた声であり歌だ、グランジやオルタナってやつは。
ぺイヴメントの「フィルモア・ジャイヴ」の
まずは恐れがあって、顔には陰気な表情が浮かぶ
街にはパンク野郎どもが溢れていて、奴等はみんなビョウをまとってやがる
長いカーリーヘアーのロックンローラーたちをご覧、
おやすみロックンロールの時代、もう誰も必要としていないのさ
って歌詞が好き。ロック史上に残る名詩だと思う。
と言いつつ今は2015年。死骸の果てのそのまた果ての時代に私達が見る光景はたまた夢とは何か。
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あれから随分といろんな年代のロックミュージックを聴き漁ったものだけれど、グランジやオルタナと呼ばれるバンドにシンパシーを覚える所以は、それらがある種の諦念からはじまっているから。69年のウッドストックのロック幻想と、ニルヴァーナやダイナソーJrが描いてた世界像は、全然違うと思う。この話は長くなるので詳しくはまた追って記そう。とにかく、何度めかの死刑宣告を受けた大文字のロックの瓦礫と残骸の中に見えた、望みと呼ぶには荒廃し過ぎた声であり歌だ、グランジやオルタナってやつは。
ぺイヴメントの「フィルモア・ジャイヴ」の
まずは恐れがあって、顔には陰気な表情が浮かぶ
街にはパンク野郎どもが溢れていて、奴等はみんなビョウをまとってやがる
長いカーリーヘアーのロックンローラーたちをご覧、
おやすみロックンロールの時代、もう誰も必要としていないのさ
って歌詞が好き。ロック史上に残る名詩だと思う。
と言いつつ今は2015年。死骸の果てのそのまた果ての時代に私達が見る光景はたまた夢とは何か。

2015/1/4 | 投稿者: komori
正月の町は静かだ。1年の間でこれくらいの静寂がもうちょっとだけあってもいいような気もする。正月返上でお勤めという方はご苦労様です…。年越しを仕事して過ごすコンビニ店員は本当に偉いなあと思う。どこもかしこも閉まればいいのに。正月くらい。
年末忙しなかったので、今更大掃除などしつつ、この暫しの静寂を楽しんで過ごす2015年最初の日々。こういう時ほど、音楽は、うたは、愛おしく聴こえる。音楽をより深く知り楽しむためには、自らを孤独たらしめるのもよいんだろうな。たまにはね。
今年もよろしく。
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年末忙しなかったので、今更大掃除などしつつ、この暫しの静寂を楽しんで過ごす2015年最初の日々。こういう時ほど、音楽は、うたは、愛おしく聴こえる。音楽をより深く知り楽しむためには、自らを孤独たらしめるのもよいんだろうな。たまにはね。
今年もよろしく。
