2013/7/11 | 投稿者: komori
久し振りに良い曲が書けた。この曲は、はじめにコード進行があった。コード進行の上に乗せたオブリがそのまま歌メロとなった。そのメロディーはずっと頭の中を巡っていた。それは要するに忘却に耐え得るメロディーがその時点で完成しているということを意味する。そうやって無数のアイデアの中から残ったものだけが、「曲」という体裁を帯びる。
だが、しかし、曲が「曲」足るまでの過程は、それはもう、その曲自体しか知り得ない。はじまりのコード進行なり、リフなり、が向かうべき所へ、向かわせる、指標を示す、僕がやるべきことなど、たかがそれっぽちのことでしかない。
全ては音楽の向かいたい方角に向かわせればいい。
至極自然で、普通のことをやればいい。
それは僕らが息を吸うとか、腹が減ったかた飯が食いたくなるとか、それらと同等のことだ。その摂理を小手先やことばで捻じ曲げることは、もう、どうでもよくなった。
最近は音楽よりも夜風の音を聴く。果たして夜風が商品になるかと言われると首を傾げるものだが、僕は僕の美しいと思うものに耳を傾けたい、という所以にて、毎晩、この行為に至る。
美しく、豊かな音だと思う。
そういう音に近づきたい、とも思う。
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だが、しかし、曲が「曲」足るまでの過程は、それはもう、その曲自体しか知り得ない。はじまりのコード進行なり、リフなり、が向かうべき所へ、向かわせる、指標を示す、僕がやるべきことなど、たかがそれっぽちのことでしかない。
全ては音楽の向かいたい方角に向かわせればいい。
至極自然で、普通のことをやればいい。
それは僕らが息を吸うとか、腹が減ったかた飯が食いたくなるとか、それらと同等のことだ。その摂理を小手先やことばで捻じ曲げることは、もう、どうでもよくなった。
最近は音楽よりも夜風の音を聴く。果たして夜風が商品になるかと言われると首を傾げるものだが、僕は僕の美しいと思うものに耳を傾けたい、という所以にて、毎晩、この行為に至る。
美しく、豊かな音だと思う。
そういう音に近づきたい、とも思う。
