2012/7/26 | 投稿者: komori
今年もフジロック参戦して参ります。
しかも怒涛の5連休、初の前夜祭からの参加です。
ツイッター上ではしゃぎ過ぎてて、うざくてすみません。
レコ発、ありがとうございました。
今はまだ祝祭の渦中で、
帰ってきたら、改めてちゃんと書きますね。
取り合えず、フジが終わったら僕の夏は終わるんで(財政的にも)、
その後は壊れかけも1ヶ月近くライヴないですし、
また振り出しに戻った気持ちで、頑張ろうと思います。
暫くPCのメールが確認出来なくなるので、
御用のある関係者各位は、携帯か、
またはツイッターで。
では、今年も苗場で逢おう!
そしていい加減、もう1度出演者として、
参戦させて下さい…
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しかも怒涛の5連休、初の前夜祭からの参加です。
ツイッター上ではしゃぎ過ぎてて、うざくてすみません。
レコ発、ありがとうございました。
今はまだ祝祭の渦中で、
帰ってきたら、改めてちゃんと書きますね。
取り合えず、フジが終わったら僕の夏は終わるんで(財政的にも)、
その後は壊れかけも1ヶ月近くライヴないですし、
また振り出しに戻った気持ちで、頑張ろうと思います。
暫くPCのメールが確認出来なくなるので、
御用のある関係者各位は、携帯か、
またはツイッターで。
では、今年も苗場で逢おう!
そしていい加減、もう1度出演者として、
参戦させて下さい…

2012/7/23 | 投稿者: komori
個人的な事、書きます。
今日の演奏と、「ハレルヤ」と名付けたアルバムを、
4年前の夏、摩天楼の下で自ら星になってしまった、
大切な友達に捧げます。
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今日の演奏と、「ハレルヤ」と名付けたアルバムを、
4年前の夏、摩天楼の下で自ら星になってしまった、
大切な友達に捧げます。

2012/7/23 | 投稿者: komori
ツアーファイナルです。
■7/23 mon
新宿 LOFT
レコ発自主企画<東京編>
『摩天楼の下、叫べ、ハレルヤ』
OPEN/START 18:30/19:00
ADV/DOOR ¥2.300/¥2,800(+1D)
[出演]
壊れかけのテープレコーダーズ
ズボンズ
おとぎ話
(OA)ハグレヤギ




当日を迎えながらも、この記事を書いている、今明け方5時、ただただ不安ばかりが募る。LOFTクラスの規模の大箱での企画というのは初の試み。巨大なキャパシティー。圧倒的な空間の余白部が目の前を過ぎる。吐き気と眩暈と頭痛でぶっ倒れそうになる。
しかし、最早僕らも結成し5年。いよいよ越えなければならぬ障壁を、自らに強いるべき時は、満ちたのだ、という想いのもと、今回のファイナルを企画した。最早後戻りは出来ない。時は待たず、来るべき今日は然るべき今日とて、現れる。
今回の出演者の話を、少し。
ズボンズとおとぎ話は、今年2月の「みんなの戦艦2012」でもお誘いさせて頂いた2組、但し僕等の出演日とは日が違っていた。そして彼等こそが戦艦のベストアクトだったのではないだろうか、と思え、再度同じ日、同じステージで、すぐに共演を果たしたい、という想いのもと、今回オファーさせて頂いた。
両バンド、表面的な音楽性こそ違えど、時流に流されぬDIY精神と、何よりギターを初めて手にしたその日のようなドキドキを10年以上のキャリアを経ても音楽に宿しているその姿勢を、僕は大変尊敬していて、生涯にそうはない「レコ発」、大先輩の胸に思い切り飛び込んで行きたい、と思い、ズボンズとおとぎ話を選んだ。
こんな、僕等なんかよりずっと著名なバンドだけど、メールのやり取りも、事務的な手続きも、2バンド共、メンバー自らやっているんだよ。バンドを自らマネジメントしていくといいいうこと、その実践と、継続の在り方、本当に脱帽してしまう。多分実務的な面で目指すべきは、憧れは、彼等のような活動形態だ、と思う。
そして、オープニングを勤めてくれるハグレヤギは、昨年の今頃は面識もなかったが、この半年位の間で出会い、もっとも感銘を受け、またシンパシーを感じた、同世代のバンド。彼等には、同じ時代に音楽を奏でていることの、必然を感じている。
ズボンズに至っては、今から最早十数年前、15歳の頃に「ロックインジャパンフェス2001」で観た、僕のロック原初体験とでも言うべきバンドだ。
そんなバンドと、同じ日、同じ舞台で、自分の作ったレコードの名を冠したイベントで、今日、共演を果たす。
音楽をこう続けてて、節目節目に、その都度に、思うことがある。
15歳の僕に、今の僕はどう写るだろうか、ということ。
青臭い愚問だろうか?
でも、偽りなく、夢のひとつひとつを実践していく様を見て、何か覚えることはあるだろうよ。思ったほど楽でもないけれどね、っていうのはひとつ忠告したいがね。
ただ、今日は、
なるべくしてなった、
来るべくして訪れた、
あの日の、未来だ。
あとは音楽のど真ん中に思い切り飛び込むのみ!
どうぞ僕等の集大成的イベントです。
是非お越し下さい。
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■7/23 mon
新宿 LOFT
レコ発自主企画<東京編>
『摩天楼の下、叫べ、ハレルヤ』
OPEN/START 18:30/19:00
ADV/DOOR ¥2.300/¥2,800(+1D)
[出演]
壊れかけのテープレコーダーズ
ズボンズ
おとぎ話
(OA)ハグレヤギ




当日を迎えながらも、この記事を書いている、今明け方5時、ただただ不安ばかりが募る。LOFTクラスの規模の大箱での企画というのは初の試み。巨大なキャパシティー。圧倒的な空間の余白部が目の前を過ぎる。吐き気と眩暈と頭痛でぶっ倒れそうになる。
しかし、最早僕らも結成し5年。いよいよ越えなければならぬ障壁を、自らに強いるべき時は、満ちたのだ、という想いのもと、今回のファイナルを企画した。最早後戻りは出来ない。時は待たず、来るべき今日は然るべき今日とて、現れる。
今回の出演者の話を、少し。
ズボンズとおとぎ話は、今年2月の「みんなの戦艦2012」でもお誘いさせて頂いた2組、但し僕等の出演日とは日が違っていた。そして彼等こそが戦艦のベストアクトだったのではないだろうか、と思え、再度同じ日、同じステージで、すぐに共演を果たしたい、という想いのもと、今回オファーさせて頂いた。
両バンド、表面的な音楽性こそ違えど、時流に流されぬDIY精神と、何よりギターを初めて手にしたその日のようなドキドキを10年以上のキャリアを経ても音楽に宿しているその姿勢を、僕は大変尊敬していて、生涯にそうはない「レコ発」、大先輩の胸に思い切り飛び込んで行きたい、と思い、ズボンズとおとぎ話を選んだ。
こんな、僕等なんかよりずっと著名なバンドだけど、メールのやり取りも、事務的な手続きも、2バンド共、メンバー自らやっているんだよ。バンドを自らマネジメントしていくといいいうこと、その実践と、継続の在り方、本当に脱帽してしまう。多分実務的な面で目指すべきは、憧れは、彼等のような活動形態だ、と思う。
そして、オープニングを勤めてくれるハグレヤギは、昨年の今頃は面識もなかったが、この半年位の間で出会い、もっとも感銘を受け、またシンパシーを感じた、同世代のバンド。彼等には、同じ時代に音楽を奏でていることの、必然を感じている。
ズボンズに至っては、今から最早十数年前、15歳の頃に「ロックインジャパンフェス2001」で観た、僕のロック原初体験とでも言うべきバンドだ。
そんなバンドと、同じ日、同じ舞台で、自分の作ったレコードの名を冠したイベントで、今日、共演を果たす。
音楽をこう続けてて、節目節目に、その都度に、思うことがある。
15歳の僕に、今の僕はどう写るだろうか、ということ。
青臭い愚問だろうか?
でも、偽りなく、夢のひとつひとつを実践していく様を見て、何か覚えることはあるだろうよ。思ったほど楽でもないけれどね、っていうのはひとつ忠告したいがね。
ただ、今日は、
なるべくしてなった、
来るべくして訪れた、
あの日の、未来だ。
あとは音楽のど真ん中に思い切り飛び込むのみ!
どうぞ僕等の集大成的イベントです。
是非お越し下さい。

2012/7/22 | 投稿者: komori
こう、ブログを書こうとする。昨日のことを思い出す。昨日とは何も、時系列的に観た実の昨日とは限らない。蓄積された無数の昨日と呼ばれた時に対し、思いを巡らす。
ただ、そこには名称や固有名詞の残骸のみ。もしくは風景。いや、それは風景と呼ぶには余りにも躍動を伴わぬ、単なる、画。線と色でのみ構成された。
手繰りよせた昨日には、確かに昨日手にしたはずの、確かさ、感覚だとか、熱量、強度、
そういった類のものが、なぜ損なわれてしまうのか。それは記憶力や想像力で賄えるものですらなく、どうしても、僕等は忘れてしまうのだ。
この忘却という作用が、僕等の過ちの起爆剤ともなり得る。だが、しかし何も否定的な効果ばかりではない。
僕等は忘却により、またさめざめとした今日を迎えることが出来る。あの狂熱の中心で、自己を消失させてもよかったはずの、だが、決してそうは至らなかった僕の、荒涼とした、今日、振り出しに戻されるような感覚、だがその非情さこそが、継続というもののひとつの姿であり、その業とも言うべき先天的な喪失感こそが、僕等をハングリーな精神足らしめる。
記述による、想起、瞬間の感覚の言語化。それらは、決して不可能なことではない。
だが、心に留めなければいけないことは、失った(「今」はということ。元来、決して失ってなどいないのだが、利便性のため、そう書いておこう)あの狂熱を再び取り戻すには、それは言語の枠組みの中で行われるのではないということ、遠巻きにする「あの」を外せ、今正に森羅万象が隣接しているという事実に耳を傾け、僕等は狂熱を語るのではなく、それを生きる、のだ。
何度でも。
レコ発大阪編より、
本編ラストに演奏した
「見たことないうた、聞いたことないそら」
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ただ、そこには名称や固有名詞の残骸のみ。もしくは風景。いや、それは風景と呼ぶには余りにも躍動を伴わぬ、単なる、画。線と色でのみ構成された。
手繰りよせた昨日には、確かに昨日手にしたはずの、確かさ、感覚だとか、熱量、強度、
そういった類のものが、なぜ損なわれてしまうのか。それは記憶力や想像力で賄えるものですらなく、どうしても、僕等は忘れてしまうのだ。
この忘却という作用が、僕等の過ちの起爆剤ともなり得る。だが、しかし何も否定的な効果ばかりではない。
僕等は忘却により、またさめざめとした今日を迎えることが出来る。あの狂熱の中心で、自己を消失させてもよかったはずの、だが、決してそうは至らなかった僕の、荒涼とした、今日、振り出しに戻されるような感覚、だがその非情さこそが、継続というもののひとつの姿であり、その業とも言うべき先天的な喪失感こそが、僕等をハングリーな精神足らしめる。
記述による、想起、瞬間の感覚の言語化。それらは、決して不可能なことではない。
だが、心に留めなければいけないことは、失った(「今」はということ。元来、決して失ってなどいないのだが、利便性のため、そう書いておこう)あの狂熱を再び取り戻すには、それは言語の枠組みの中で行われるのではないということ、遠巻きにする「あの」を外せ、今正に森羅万象が隣接しているという事実に耳を傾け、僕等は狂熱を語るのではなく、それを生きる、のだ。
何度でも。
レコ発大阪編より、
本編ラストに演奏した
「見たことないうた、聞いたことないそら」

2012/7/16 | 投稿者: komori
今、大阪へ向かう最中の車の中で、このブログを書いています。今日は塚本エレバティにてバンド史上初の、東京以外の地での、大阪での初自主企画があります。「ハレルヤ」のレコ発を関しての。
携帯で打っているため、あまり多くは書けぬ故、手短に。
周知の通り、今日出演して頂く、そして今まさに車で一緒に向かっている「太平洋不知火楽団」が、今日の調度日が変わる頃だったか、「活動休止」を発表した。
僕はメンバーの大内君とはピンクトカレフとして一緒にやっているからその内実を事前に知らされていました。だけど、実際にこうやって公的に発表されると、未だにショックを隠しきれません。
期せずして、今日が太平洋にとってのラストツアーとなってしまった。そして、僕らの太平洋との対バンも、今日が最後となるだろう。
『同じ空の下、謳う、ハレルヤ』というイベントタイトルは、大阪で初めて企画をするにあたって、これまで幾度となくこの街にライヴをやりに行って、生まれ育った場所でもない、遠い場所、そもそも東京ですらかつてはそうだったのではないのか? すべての場所は遠いところにあった、僕たちはどこからやって来て、どこへ向かおうとしているのか、ここだと言うべきここを、ずっと探していた、そうやって続けて来た、そして「音楽」という大きな空の下、僕らを隔てていた距離といものは、消えた、はじめはもっともっと遠かったはずだったの、物理的な距離を精神の距離が越えていく、想い、がそれを可能にする、いつからか、どこにいても ここが「ここ」だと謳い、叫べるような、そんな気がした…
そういった想いのもと『同じ空の下、謳う、ハレルヤ』というイベントタイトルを、名付けた。
同時にこの一節は「天気の話」の歌詞の、最後の一節からの引用でもある。
君は風に 君は雲に
憧れて今、旅に出るんだ 同じ屋根の下 くぐりぬけて
同じ空の下 巡り会えるために
例えば今夜、大阪塚本のライヴハウスに集まる人達の組み合わせ、その確率というのは、それはもう殆ど奇跡のようなものなのだ。その出逢いの奇跡というものは、音と音が出逢い、音楽を形成していく瞬間の奇跡と類似する。
音楽の美しいところ、僕がもっともそれを感じるのは、音楽は、物理的現象としてのそれは、そう把握した瞬間には、もう消えている、というところだ。
再び、無数の音達は、その瞬間の輝きの後に、僕らの知り得ることも出来ぬ遥か遠い場所へと還ってゆく。それは人間も同様なことなんだと思う。
今夜のライヴを終えたら、僕らはまた散り散りにそれぞれの場所へと還って行く。決して、もう二度と同じ今日は訪れることはない。だからこそいつだって毎秒、瞬きひとつ分の長さの時間も、逃さずに、生きていたい、生きている。僕が観たいライヴとは、そんなライヴだ。
今、道中のパーキングエリアにいながら、これを書いています。信じられない程の快晴の、青空。
同じ空の下、謳う、ハレルヤ
and Young…
TACOBONDS
ゆーきゃん
塚本エレバティ
ありがとう。
今日はよろしくです。
そして、
太平洋不知火楽団
ありがとう。
頑張るよ。
では、塚本の地で!
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携帯で打っているため、あまり多くは書けぬ故、手短に。
周知の通り、今日出演して頂く、そして今まさに車で一緒に向かっている「太平洋不知火楽団」が、今日の調度日が変わる頃だったか、「活動休止」を発表した。
僕はメンバーの大内君とはピンクトカレフとして一緒にやっているからその内実を事前に知らされていました。だけど、実際にこうやって公的に発表されると、未だにショックを隠しきれません。
期せずして、今日が太平洋にとってのラストツアーとなってしまった。そして、僕らの太平洋との対バンも、今日が最後となるだろう。
『同じ空の下、謳う、ハレルヤ』というイベントタイトルは、大阪で初めて企画をするにあたって、これまで幾度となくこの街にライヴをやりに行って、生まれ育った場所でもない、遠い場所、そもそも東京ですらかつてはそうだったのではないのか? すべての場所は遠いところにあった、僕たちはどこからやって来て、どこへ向かおうとしているのか、ここだと言うべきここを、ずっと探していた、そうやって続けて来た、そして「音楽」という大きな空の下、僕らを隔てていた距離といものは、消えた、はじめはもっともっと遠かったはずだったの、物理的な距離を精神の距離が越えていく、想い、がそれを可能にする、いつからか、どこにいても ここが「ここ」だと謳い、叫べるような、そんな気がした…
そういった想いのもと『同じ空の下、謳う、ハレルヤ』というイベントタイトルを、名付けた。
同時にこの一節は「天気の話」の歌詞の、最後の一節からの引用でもある。
君は風に 君は雲に
憧れて今、旅に出るんだ 同じ屋根の下 くぐりぬけて
同じ空の下 巡り会えるために
例えば今夜、大阪塚本のライヴハウスに集まる人達の組み合わせ、その確率というのは、それはもう殆ど奇跡のようなものなのだ。その出逢いの奇跡というものは、音と音が出逢い、音楽を形成していく瞬間の奇跡と類似する。
音楽の美しいところ、僕がもっともそれを感じるのは、音楽は、物理的現象としてのそれは、そう把握した瞬間には、もう消えている、というところだ。
再び、無数の音達は、その瞬間の輝きの後に、僕らの知り得ることも出来ぬ遥か遠い場所へと還ってゆく。それは人間も同様なことなんだと思う。
今夜のライヴを終えたら、僕らはまた散り散りにそれぞれの場所へと還って行く。決して、もう二度と同じ今日は訪れることはない。だからこそいつだって毎秒、瞬きひとつ分の長さの時間も、逃さずに、生きていたい、生きている。僕が観たいライヴとは、そんなライヴだ。
今、道中のパーキングエリアにいながら、これを書いています。信じられない程の快晴の、青空。
同じ空の下、謳う、ハレルヤ
and Young…
TACOBONDS
ゆーきゃん
塚本エレバティ
ありがとう。
今日はよろしくです。
そして、
太平洋不知火楽団
ありがとう。
頑張るよ。
では、塚本の地で!
