2010/4/30 | 投稿者: komori
先日買ったコンピ『日曜日のうた』に収録されている穂高亜希子さんのうたを聴き、音楽にとっての「遅延」というものについてずっと考えていた。
僕は最初がやっぱりパンクやハードロックやグランジなんかが好きで入った人間だから、求めるものは速度なんだと、しばらく思い込んでいた。だけど、やがてブルースを知り、ジャストに小節の頭に辿り着けない、遅延する音楽もあるのかと、思った。ブルースは、その土着な情念的な部分がチョーキングと共にのそりのそりと常人の時間間隔を侵犯していく様がやっぱり魅力で、それは自分の音楽感を形成する大きな核にもなった。多分、それが嫌だ、という声も何となく分かる気がする。
穂高さんがブルースか否かという話は置いておいて、とにかく彼女のうたにはそういう地上に浮上するまでの究極的な遅さみたいなものがある。それは多分、歌詞にやっぱり要因があるのかな、と思う。歌詞のことばたちが、隣合うことば同士からの差異によって、例えばAはBではばいしCではない…という座標上で、形成されていない(=形成されているのが日常言語ということ)、から、ことばが例えば「ぼく」という語が、内包し尽くせる限りの世界を吸収・許容しようとしているから、そうすると「意味」というものに達することが考古学みたいな作業になってしまう、だからそれらのことばは意味として浮上するまでにどうしても遅れが生じてしまうのかなと。
だけど!それは終局的には速いのではないかと思うのだ!つまり、そうやってやっと呼吸と共に現出した「ぼく」ということばの中には、微分化のそのまた微分化の…というような観測不能な程の、無限の点の連なりがあって、それらは超絶な速度の早送りで再生されてる映像なのだ、止まって見える程に、速い。だからここで僕等の遅さと速さとを分離させてる思考そのものが、もう転覆してしまう。
穂高さんが阿部薫を聞いた時、速さについて考えるようになった、と前メールで言っていた。もしかしたら阿部薫の音は、そういった上記の無限の点達を、そのままそっくりのかたちで(例えば「ぼく」ということばにすら辿り着かぬままの状態で)、世界に現出させようとする試みだったのかもしれないね。それじゃパンクしちゃうよ、ともやっぱり「LAST DATE」なんて聴くと、思っちゃうよ。
その速度をもし遅延し続けるためだけに稼動できたら、生き永らえることは出来たのかもしれない。待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。走って急いでいるのに、約束の場所には辿り着けない。遅れ続けている。案外最後にはそんな約束事よりも、その間に観た景観だけしか、確かなものはなかったりするね。でもそこで開き直って走るのをやめるのではなく、あくまで辿り着こうとする。伝えようとすること。
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僕は最初がやっぱりパンクやハードロックやグランジなんかが好きで入った人間だから、求めるものは速度なんだと、しばらく思い込んでいた。だけど、やがてブルースを知り、ジャストに小節の頭に辿り着けない、遅延する音楽もあるのかと、思った。ブルースは、その土着な情念的な部分がチョーキングと共にのそりのそりと常人の時間間隔を侵犯していく様がやっぱり魅力で、それは自分の音楽感を形成する大きな核にもなった。多分、それが嫌だ、という声も何となく分かる気がする。
穂高さんがブルースか否かという話は置いておいて、とにかく彼女のうたにはそういう地上に浮上するまでの究極的な遅さみたいなものがある。それは多分、歌詞にやっぱり要因があるのかな、と思う。歌詞のことばたちが、隣合うことば同士からの差異によって、例えばAはBではばいしCではない…という座標上で、形成されていない(=形成されているのが日常言語ということ)、から、ことばが例えば「ぼく」という語が、内包し尽くせる限りの世界を吸収・許容しようとしているから、そうすると「意味」というものに達することが考古学みたいな作業になってしまう、だからそれらのことばは意味として浮上するまでにどうしても遅れが生じてしまうのかなと。
だけど!それは終局的には速いのではないかと思うのだ!つまり、そうやってやっと呼吸と共に現出した「ぼく」ということばの中には、微分化のそのまた微分化の…というような観測不能な程の、無限の点の連なりがあって、それらは超絶な速度の早送りで再生されてる映像なのだ、止まって見える程に、速い。だからここで僕等の遅さと速さとを分離させてる思考そのものが、もう転覆してしまう。
穂高さんが阿部薫を聞いた時、速さについて考えるようになった、と前メールで言っていた。もしかしたら阿部薫の音は、そういった上記の無限の点達を、そのままそっくりのかたちで(例えば「ぼく」ということばにすら辿り着かぬままの状態で)、世界に現出させようとする試みだったのかもしれないね。それじゃパンクしちゃうよ、ともやっぱり「LAST DATE」なんて聴くと、思っちゃうよ。
その速度をもし遅延し続けるためだけに稼動できたら、生き永らえることは出来たのかもしれない。待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。走って急いでいるのに、約束の場所には辿り着けない。遅れ続けている。案外最後にはそんな約束事よりも、その間に観た景観だけしか、確かなものはなかったりするね。でもそこで開き直って走るのをやめるのではなく、あくまで辿り着こうとする。伝えようとすること。

2010/4/26 | 投稿者: komori
24日のライヴの感想等を書いた長文の投稿が不手際でESCキーを押してしまい全消失。失意。もう今日は何もしないもんね!とりあえず乃田吊君が最高だったということだけは伝えたいなう。
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2010/4/23 | 投稿者: komori
ライヴラッシュの日々だった4月も残すところあと1本。
明日は、コレだ!

乃田吊さん企画で、久々の、我が心の故郷無善寺にて。僕等はなぜかまたも主催でもないにも関わらずトリの21:40〜の演奏。マサコ倶楽部とも久々の再開で、楽しみだな。
昨日はUFOにて生死鴉企画に出演。どうもありがとうございました。良い演奏が出来たと思う。取り分けリズム隊のグルーヴが好調で、その上で自分も身体全体で歌ったり、ギターを弾いたり出来た。音楽だけ、という演奏が出来て満足している。説明臭い箇所や、何かの振りをしているような箇所は、なかった。音楽だけだった。
リハ後オープンまで時間があったので、中野の図書館に延滞していた本をやっとこ返しに行く。アルフォンソ・リンギスの『何も共有していない者たちの共同体』という本を借りて、ずっとここ最近読んでいたのだが、これが本当に素晴らしい著作であった。ここ2年間くらいで読んだ本の中で一番面白かった。
取り分け「世界のざわめき」と題された章が白眉で、自分が音楽をやる上で、決して忘れてはいけない、かけがえのないことが書かれてあった。僕の拙文じゃ何とも説明しがたいが…
何かを共有するためにだけは、絶対そんな音楽はやりたくないなと思う。
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明日は、コレだ!

乃田吊さん企画で、久々の、我が心の故郷無善寺にて。僕等はなぜかまたも主催でもないにも関わらずトリの21:40〜の演奏。マサコ倶楽部とも久々の再開で、楽しみだな。
昨日はUFOにて生死鴉企画に出演。どうもありがとうございました。良い演奏が出来たと思う。取り分けリズム隊のグルーヴが好調で、その上で自分も身体全体で歌ったり、ギターを弾いたり出来た。音楽だけ、という演奏が出来て満足している。説明臭い箇所や、何かの振りをしているような箇所は、なかった。音楽だけだった。
リハ後オープンまで時間があったので、中野の図書館に延滞していた本をやっとこ返しに行く。アルフォンソ・リンギスの『何も共有していない者たちの共同体』という本を借りて、ずっとここ最近読んでいたのだが、これが本当に素晴らしい著作であった。ここ2年間くらいで読んだ本の中で一番面白かった。
取り分け「世界のざわめき」と題された章が白眉で、自分が音楽をやる上で、決して忘れてはいけない、かけがえのないことが書かれてあった。僕の拙文じゃ何とも説明しがたいが…
何かを共有するためにだけは、絶対そんな音楽はやりたくないなと思う。


2010/4/21 | 投稿者: komori

生死鴉さんの企画です!かなり濃厚そうなイベントでやりがいあります。慣れない渋谷を離れ、我が心の故郷・東高円寺U.F.O CLUBへ。僕等はなぜかトリ(恐縮です!)の22時くらいと遅めです。そして、さっきブログを更新してて気付いたのですが、上段のスケジュールで時間が間違ってたり、誤字脱字があったりしました。本当にすみません…。
予約は生死鴉さんのメールで一括して受け付けてるそうですseishikarasu@gmail.com
が、勿論ふらっと僕等に連絡くれても大丈夫かと思われます。
では、また。

2010/4/21 | 投稿者: komori
18日コークス×ビートハプニング企画、どうもありがとうございました。15日ネストの屈辱から這い上がる、光が垣間見えるようなライヴが出来たと思う。ここに、爆発力だ加われば、もっと良い。久々にやった「生まれる」は、やっぱり希望の讃歌だな、僕等の。
コークスは勿論、共演も見ごたえある面子で、楽しくなっていまい、金欠にも関わらず自分達の終演後はついついお酒も進んでしまった。
それにしても、トップのパラダイスは完全に空間を支配してしまったと思う。壊れかけ含め、その日の出演者、お客さんの誰もが、あの空気を少なからず引きずっていたのか、というよりは、ひとの暗部を曝け出してしまう音楽なのか…。
コークスを観てた時、決して派手な照明を要求しない彼等を照らしていた、味気ない白照明が、その音楽をなにより物語ってた。一縷の光だけで、十分なんだな。
また明日も壊れかけはライヴです。もう毎日が早すぎる!目まぐるしい!でも、激しく生きてもいる。
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コークスは勿論、共演も見ごたえある面子で、楽しくなっていまい、金欠にも関わらず自分達の終演後はついついお酒も進んでしまった。
それにしても、トップのパラダイスは完全に空間を支配してしまったと思う。壊れかけ含め、その日の出演者、お客さんの誰もが、あの空気を少なからず引きずっていたのか、というよりは、ひとの暗部を曝け出してしまう音楽なのか…。
コークスを観てた時、決して派手な照明を要求しない彼等を照らしていた、味気ない白照明が、その音楽をなにより物語ってた。一縷の光だけで、十分なんだな。
また明日も壊れかけはライヴです。もう毎日が早すぎる!目まぐるしい!でも、激しく生きてもいる。
