
作曲家・いずみたくさんが書いた本です。奥付によると今から30年前の1976年に発売されたそうですが、僕は最近古本で買いました。
いずみたくさんの名前は知らない人でも、メロディーを聴けば知っていると思います。
代表曲は「いい湯だな/ドリフターズ」「見上げてごらん夜の星を/坂本九」「世界は二人のために/佐良直美」「恋の季節/ピンキーとキラーズ」「夜明けのスキャット/由紀さおり」「手のひらを太陽に」「チョコレートは明治(これは作詞もいずみたくさんです)」「伊東に行くならハトヤ」「ハウス・バーモントカレーの唄」「ゲゲゲの鬼太郎」「タイガーマスク」「徹子の部屋テーマソング」などなど。
音楽に対する情熱を語った大変に熱い本で、熱中して読みました。僕も「恋の季節」は中学の頃からクラスのお楽しみ会で歌ったり、よくバンドで演奏していました。バンドでは「いい湯だな」を演奏しているカセットも残っています。
エピソードも興味深く、例えば「いい湯だな」は最初デューク・エイセスが歌っていたそうですが、当時いずみたくさんが経営していたスナックで弾き語りをしていた人が「ババンババンバンバン」というあの有名なフレーズや「アーソレソレ」という掛け合いを加え、作曲から5年ぐらい経ってドリフがカヴァーした時にはあのような形に発展していたそうです。それは作曲したいずみたくさんも想像していなかった完成形でした。
面白かったのは、バーで飲んでいた時に近くにいたおじいさんが、すぐそこに作者がいるとは知らずに「"いい湯だな"はいずみたくが5年前に作ったものだが、私は10年前からこの歌を知っている」と話し始めたというエピソードです。
それを聞いて腹を立てたいずみたくさんですが、そのおじいさんが昔からある民謡か何かと勘違いしているのだという事に気が付き、もしかすると日本中の人たちも自分が作ったという事を忘れてみんなが民謡だと思っているのではないかと思うと嬉しくなってきた、という話でした。それこそがいずみさんが目指した大衆の音楽だったからです。
他にも「夜明けのスキャット」や「世界は二人のために」は最初レコード会社から酷評され相手にもされず、発売してみたら大ヒットになったという話や「チョコレートは明治」はCMソングで初めてのマイナーキーだったという話など興味深いエピソードも載っています。
「手のひらを太陽に」も最初は大人向けの曲として作ったそうで、それが小学校の音楽の教科書に載った経験から「われわれ大人が自分の子供の頃を思い出して作る歌が一番危険である。子供が喜ぶように、喜ぶようにと、迎合して作るのは、商業的なオモチャだけで結構。文化的なものは、差別なしにあたえてやらねばならない」と言い切っています。
その証拠に挙げているのが「ゲゲゲの鬼太郎」で、子供を無視した大変に難しい音階でメロディーを作ったのに、子供達は楽々と歌いこなし「現在の子供はヘーのチャラである」と書いています。50回以上もファミリーコンサートを上演してきたいずみたくさんの貴重な体験談がこのように色々と載っていて、僕も読んでハッとさせられました(もっと具体的な話も沢山載っています)。子供達の可能性の大きさと、大人達の音楽教育の指導の拙さの例が何度も書かれています。
62歳で亡くなるまでの総作数は15,000曲と言いますから、非常に多作な作曲家でもありました。CMソングだけでも5年間で500曲(実際には2曲作って1曲を選択したそうなので実質1,000曲)以上を作ったというのですから、本当にエネルギッシュな人だったのですね。
歌い継がれるスタンダード・ナンバーを作りたいと思っていたいずみたくさん。今でもいずみさんが作ったメロディーが毎日テレビで流れ、日本中でいずみさんの曲が歌われています。願いが叶った幸せな作曲家だと思います。
関連文章です:
「
昭和の歌人たち/いずみたく」