洗礼を受けて一〇日後に、聖霊のバプテスマを受けた。4年後には、
『自分の十字架を負って、私に従ってきなさい。』マタイ16:24
ところが3年後、つまり救われて7年後、神学校卒業の直後に不貞を働いて、まったく聖霊の注ぎを失ってしまったのだ。ここから30年(現在にわたり)聖霊の満たしを求めてさまよったが与えられないのだ。(聖霊にバプテスマとは聖霊の満たしの最初の現象で、ペンテコステ派では異言を語る)。その異言が全く出てこないのだ。それが30年続いた。少し下ったらブログに、私は聖霊の満たしを受けたなどと言っていたが、長続きしなかった。牧会は本当に苦しかった。それでも何とか続けられて、やはり聖霊様はおられるのだなあ、と再認識した。今日になって、ある人が、鈴木さん、聖霊のバプテスマ受けた方がいいですよ、というから、私はオオイカリになって、み言葉を求めた。すると、
『自分の十字架を負って、私に従ってきなさい。』マタイ16:24
あ、あの時受けたのと同じだ。つまり主は異言に対する私の執着と従順を30年かけて 砕き、訓練をしてきた、と思ってしまった。これからは聖霊様がほしい時、このみ言葉を唱えてみる。

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