神の栄光があらわされる人生を持ちたい。私たちはどれほど自己中心的か?もちろん自分の成長も大切だが、もっと自分よりも神と人を愛して仕えたい。まずはとりなしから始めよう。そうしたらコップ一杯の水をささげよう。それから伝道に入りイエスが喜ばれる歩みをしたい(と言ってもわたしはどれだけ父親とぶつかったことか?そんな父が救われたのである)だから失望しないでやっていきたい。もちろん伝道だけが神の栄光をあらわす道ではない。食事をつくったり皿洗いをしたりするのも神の栄光があらわされる。要は自分の修行のためにやっているのか、真に神と人を思いやっているのかでずいぶん思いが変わってくる。
『あなたがたのからだを、神に受け入れられる聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です』ロマ12:1a

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