私の召しは「あなたは伝道者として牧会しなさい。」と、言うものであった。(11年前)今こうして牧会を辞してみると、いろいろなことがわかる。たとえば牧会は守り手、伝道者は、攻め手である。その他にも牧会者は限られた魂を愛していればよいが、伝道者は全人類の魂を、愛さなくてはならない。特にここ日本では、キリスト者が、わずか0,5%しかいないので藁をもつかむ思いだ。私は伝道者としてどんどん小さな教会を立て上げていくらしい。今その2番目に入ったところだ。伝道者だから聖書から十字架を語っていればよいのであるが、それができなかったこの十年であった。今度は熱心に伝道し、十字架の愛と赦しを語ることにする。ただ聖霊の流れに従って。
『そこでピリポが走っていくと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので「あなたは、読んでいることがわかりますか。」と言った。』使徒8:30

2