苦しみがあるとき、体からいのちが発散されて、人を癒す。
『いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、そうれは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。』2コリント4:10
一般的に苦しみは忌み嫌われるが、本当にそうだろうか。クリスチャン生活が続けば続くほど、一方で恵みも深く、一方で苦しみも深くなっていく。それは、内なる喜びのいのちが、外なる苦しみを通して解放され、祈りとなって、隣人が癒されるからである。あなたは自分が苦しむのと、他者が苦しむのとどちらを選び取りますか?もちろん前者でしょう。でしたら今の苦しみも忍耐できるでしょう。純

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