さほど聖霊に満たされていたわけでもないのに、どうして10年も牧会できたかな?と思っていたが、それは聖徒の交わりにあったようだ。聖徒の交わりは執り成しをとりなしを生み出し、その執り成しが、聖霊の臨在を導いていたのであろう。使徒信条に出てくる聖徒の交わり、とは地域教会を現していたのかもしれない。牧師は信徒のためによく祈り、信徒は牧師のために祈る体質の教会を作らねばならない。しかしいずれにせよ、私は信徒のため祈る。
『小さな群れよ、恐れることはありません。あなた方の父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。』ルカ12:32

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