意識(信仰)の能力にはすごいものがある。たとえば一昨日からPCの一部がおかしく、私は、これはウイルスにやられたな、と勝手に意識していた。しかし今日になって、ケーブル会社に電話すると、それはまったくの間違いで、私の操作ミスであることがわかった。さらに以前から肝臓に違和感を感じ、これは肝臓がんの可能性ありだな、と思っていたが例の「一粒の麦」で死が怖くなくなった。早くイエス様のところに行きたいとさえ思っているが、これも間違いかもしれない。明日検査を受ける。このようにして意識(信仰)はまったく人間の運命を変えてしまう。私は運命論者なのではなく、意識(信仰)しだいによってはいくらでも幸福な、人生を過ごせると信じている。
『ユテコという一人の青年が窓のところに腰をかけていたが、ひどく眠気が指し、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三がいからしたに落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りてきて、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて『心配することはない。まだ命があります。』といった。・・・人々は生き返った青年を家に連れて行き一方ならず慰められた。』使徒20:9−12
死をも生かしてしまうパウロの意識(信仰)を見ましょう。純

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