
7年前の今日、
私と福来。ちゃんは、福来。ちゃんの余命宣告をされ
12日間の二人三脚の闘病生活に入りました。

いつまでも、ぐだぐだと後悔しているのではありません。
でも、今日という日は私にとって
決して忘れてはいけない日なのだと思っています。
もし、違う人が飼い主だったら
もっと早くに気がついていたかもしれない。
初めて猫を飼う人間が
いきなり、FeLV陽性の仔の飼い主になったのは
無謀だったのかも、という後悔はありますが
でも、あの時、私は
自分の出来ることを精一杯やりました。

毎日、病院に点滴に行きました。
抗癌剤の影響で下痢と嘔吐を繰り返す福来。ちゃんの後ろを
ついて歩いて、
下痢をしたらその場所を拭き、
嘔吐をしたら嘔吐物を片付け口の周りを綺麗にしてやり
不安から「抱っこ〜」と寄ってくる福来。ちゃんを
いつも抱っこして、
仕事をしないで、12日間過ごしました。
そういう意味での後悔はありません。
でも、この12日間があったからこそ
今の私がいるのです。
にゃんこカレンダーも、PGDカレンダーも
この12日間がなかったら
絶対に作っていなかったと思います。

福来。ちゃん、よく頑張ったよね。
でも、やっぱり、今日という日は決して忘れずに
私と福来。ちゃんのことを語る上で必要な一日だと
しっかりと認識していたいと思うのです。
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昨日、とあるサイトで目にしたものがあります。
「転載希望*78円の命」と題したブログでした。
宜しかったらご一読戴き、ブログなどをお持ちの方は
是非とも転載して戴ければ、と思います。
http://ameblo.jp/utanyan/entry-11532132254.html
常々思うのです。
保護された仔と保護されなかった仔の境界線って何だろうって。
きっと、ほんのちょっとしたことなんだと思う。
そこを通りがかったかどうか。
偶々そこに行った時に見つけた。
きっとそんな些細な違いが境界線になってしまうのだと思います。
福来。ちゃんは、リンパ腫で苦しかったに違いない。
でも、亡くなる時は私の腕の中で静かに逝きました。
このブログに書かれたような、保健所での殺処分と違って
二酸化炭素で苦しむのではなく、
人に抱かれ、そのぬくもりの中で逝くのは
少しは安心して永遠の眠りにつけたのではないかと
飼い主の勝手な思いかもしれないけど、
そう思うのです。
保護された仔とされなかった仔。
そんな境界線がなくなればいいのに。
いや、なくしていかなきゃいけないんだと思います。
それ以上に、
捨てられる命を減らさねばいけないのだと思います。
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あっ。
今日の写真は全部、福来。ちゃんです。
風子姐さんではありません。
似ているけれど、ちょっと違うんです。

マグロのお造りを食べる、福来。ちゃん。

キャットタワーの中に入っている福来。ちゃん。
風子はこの中に入れば、きちきちで足と尻尾が出ています。
福来。ちゃん、本当に小さかったんだなぁ。
福来。ちゃんは体重が2キロを越えることはありませんでした。
風子は福来。ちゃんの2.5倍ありますっっっ(ひえ〜〜〜)
いつもありがとねっ。
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