NHKでいじめの問題の番組をやっている。
僕も小学校の時、短期間だったがいじめにあった記憶が鮮明に残っている。小学4年か5年の時だった。
卓球が得意だった僕は放課後、東洋紡という繊維会社の中の自由に使える卓球練習場で、みんなと毎日卓球をやっていた。
勝ち抜きシステムでやっていた。卓球が得意(小学6年、チャンピオンになった)な僕は、負けないので最初から最後まで殆ど交替無しでやっていた。
今ならば、気を使って、たまにわざと負けたりして交替していたと思う。しかし、その頃はただ一生懸命にサーブをスマッシュをして勝つ事に専念していた。
ある日、いつものように勝ち続けていたら、急にみんなが他の遊びをするようになり僕だけ仲間外れにされ、話しもしてくれなくなった。仲のいい親友もそうなって悲しかった。
親友に理由を聞くと、最初は無視していたが、やっと理由を言ってくれるようになった。理由は、「キタナイ技を使って勝ってばかりいるから」と。
汚い技とは??
それは、サーブを相手の取りにくい場所に打ったりすることだった。これはどんなスポーツでも、そこに打つ練習をして技術を身に付けるものであって、汚いプレイではないのだが、、、。
とにかく、それ以外に何かの理由があったとは思うが、そんな些細な事でいじめは発生する。
ここで、話を展開させるが、NHKのこの番組でも、子供達は、学校の先生に相談しても、真剣に聞いてくれない、、。
と話す子供がいる。
僕は、教員家庭に育った。親戚もそうだ。親戚は三人子供の内、二人が先生になっている。
しかし、自分のところは三人兄弟全て教員にならなかった。僕は音楽の教員になる可能性があったが、自分で、それにはならないと決めてならなかった。
それにならない。と書いたが、実は違う。「それにはなれない」が正確な言葉だ。
僕は、先生になれないと思ったのだ。自分は先生にはなれないと。つまり、自分には適性がないと判断したのだ。もちろん、作曲家になりたいという夢があったこともあったが。
小学校の時から、尊敬できる先生は殆どいなかった。子供は先生をよく見ているものだ。僕はそうだった。
人間的にできていない人が多かった。えこひいきをする人が殆どだった。
中学の時に一人だけいらっしゃった。それ以外は、軽蔑の対象でもあるくらいだった。
そこで、僕は進学を決める高校2年生の時、「自分は先生にはなれない」と判断したのだ。
理由は、
『生徒、全員を平等に愛せないから』
だった。
その時の僕は、それが自分にはできないと自分を判断した。
中学の時のたった一人の尊敬できる先生以外は、みなそれができない先生、人間ばかりだった。
そして、悲しいかな、高校2年の僕は、そういった人間(先生)たちに幻滅していながら、自分もできないと判断したのだ。
そうして、このような自分は聖職である先生にはなってはダメだと判断したのだ。真面目に判断した。
これは間違っていないと思う。
大学を卒業して社会人(といってもぶらぶらしてたが)になって、帰省した時に、高校の友人と会う機会があった。彼は消防職員になっていた。
なぜ消防職員になったを聞いた。
「安定しているから。一生、安心して生活できるから、公務員はそうだから」
役場に勤めていた友人の殆どは親のコネで入ったと耳にした。
その頃、ピアノ調律師として都内で働き始めた僕は、練馬区内の消防署の署員アパートにピアノを入れた岩手出身の若者の部屋に調律に行った。
訛りがすごく、流石は岩手だ〜と思いながら、終わってから世間話をした。
「すばらしいですね。火事にあった方々を助けるために消防署員になったんですね」
「ちがいますよ。そんなことしませんよ。自分の命が大切だから。公務員だからなったんですよ」
と、すごい訛りで話した。
ショックだった。
笑っちゃダメだが。バリバリの訛りで、東北から出てきた純朴そうな青年から聞いたこの言葉は、重かった(富山弁バリバリの自分が言える立場じゃないが)。そして、田舎の友人を想い出した。
学校の先生になる人、なりたがる人。消防員、役場、、、。なりたい理由が同じ人が多い。公務員だからと。親もそれになれと薦める人が多い。
僕は、変な言い方だけど、自分は間違っていなかったと思っている。
僕はもっと純粋だった。公務員だから、、、生活が安定するから、、、で、公務員でもある先生になろうとしなかった。そんなこと、考えもしなかった。微塵もなかった。
もちろんその時、先生という聖職につけるだけの素質、資格、そう『すべての生徒を平等に愛せる』という人間だったら最高だったけど。情けない僕はなっていなかった。
今、僕はこの年齢になって、やっとだけど、はっきり言える。今だったら、生徒を平等に愛して預からせていただく自信がある。
これは、情けないことかもしれない。聖人は、幼い時から、そういう風になっているのかもしれない。
そう思うと、自分が本当に情けないが、生ある内にこのような気持ちになれたことがうれしい。
その分、これから、この気持ちで、今、生きている世界で生きていく。
最後に。
いじめというものは、大人の世界、社会人になってからも当たり前にあることなので、子供の頃からそういったことに慣れて、もまれて、免疫をつけることは、人間として生きていく訓練にもなる。
しかし、子供を扱う先生はそうであったはならないと思うのだ。聖職だ。医者と同じようにね。
収入が多い職業だからと医者になるように薦める親も本人も、もっと自覚が必要だ。
やはり基本は、” 愛 ” だ。
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