2010/6/30

敬々という人  
BOXINGLEE'S CAFEという店を廃業した2006年の冬、
ボクは敬々と、中野サンプラザの前で殴りあった。

もちろん平手だったが。

お互い酔っ払っていて、そして途方に暮れていた。

何度も殴り合い、常日頃ならばそんな遊び半分の勝負を
けしかけるのは自称エセ空手家のボクなのだが、
その夜は、ボクの方から彼に「もうやめよう、痛いよ」
と言った。

40過ぎの大人の僕たち二人は、あまりにもショボくれ、
しくしくと泣き出してしまった。
本当に、悲しく情けない、年の瀬の一夜だった。

ボクが店を廃業してしまってから、
BOXINGLEE'S CAFEでライブをやっていた人たちは、
おそらくそこそこ大切な居場所をなくしてしまい、
皆、どこか途方に暮れていた、
ということはひしひしと感じていた。

なんとも説明しようがない悲しみや、恨みやらを
遠隔的にいつもボクは感じ取っていた。

最近その頃の話をすると、敬々は、
自分たちはどこか傷を負ってしまったのだと思う、
と言った。

そうだと思う。

モノゴトの必然な流れをいうとき、
敬々は大変素直に論じる。

けれど、彼が音と言葉で奏でる世界観は、どこか捩れている。

時間が旧いのか、新しいのかわからない。
音がアコースティックでテクノで琵琶法師のようだ。
言葉はときどきフランス語に聞こえる。

それは南部弁も津軽弁もそうだ。
それが面白い。

青森県は、文明化以前から恐山のように
フューチャーでテクノ、なのだということが、
敬々の唄から見えてくる。

その、捩れ、を評しボクは彼のことを
フューチャーテクノフォークシンガー、と呼ぶようになった。

フューチャーテクノを、
敬々は「とんち」というが、
ボクはフューチャーテクノとあえて呼びたい。

(テクノとは、テクノロジーではなく、
     「技術」「熟練」「ワザ」である)

2004年の冬のBOXINGLEE'S CAFE、
敬々ともう1人テキサスというブルースハーピストと
真夜中に3人で、様々なことを話していたら、
敬々が突如、

「boxingleeさん、青森県十和田か八戸の間の下田あたりの
 だだっ広いところで、プロレス興行、やりませんか?」

と言って来た。

その瞬間、ボクの頭の中にはさまざまな異種混交な要素が
駆け巡った。

プロレスとバトルとテクノとDJと、
原野のようなひらべった土地で音と肉体がぶつかり合う。

ボクの頭の中でそれは「歌謡プロレス」というコンセプトになった。

ボクと敬々は、さまざま話し合って、
新しいステージの造り方を模索した。
金がないので、どうしようと思ったが、
敬々が、それだけは絶対必要だ、
と固執したので、安い工事現場用の安全ロープを買ってきて
それでリングを作り、プロレス風のステージを作り上げた。

それが、知る人ぞ知る、幻の「新東京歌謡プロレス」になった。

それは一つのはじまりではあったが、
同時に一つの終焉の助走でもあった。

それから、というわけでもなく、
ずっと前から、そして今も、
敬々は、唄を唄って闘っているけど、
彼の前には敵はいないのだ。

百年前と百年後の間を振り子のように
ふらふら彷徨って唄っている、
だから、それはフューチャーテクノフォークシンガー
としかいいようがないのだ。

敬々と初めて会ったのは、
そう、BOXINGLEE'S CAFEが三上寛さんをはじめてブッキングした
翌年の2003年の春先。
ふらりと坊主頭の不思議な風来坊として
BOXINGLEE'S CAFEのカウンターにあらわれた。

その年、まださして仲が良かったわけでもない
敬々を含めた数人と即席の音楽部隊を組んで
十和田marsさんでライブイベントを決行した。

あの夜は、集客がよくなくてmarsさんには申し訳ないことをした。
恩返しはしたいのだが、なかなか困難があって。

こんななんやかんやがあって、
十和田のライブが終わって皆でドンちゃん騒ぎして、
ボクの実家に帰って、朝目が覚めたら、
一緒にきたラッパーの射ラップ一郎が、
「誰もいないよぉ」と言って来た。

車で来ていた数人の仲間は
朝一番に出発してしまっていた。

敬々は、居間で1人ごろんと寝ていた。

三人で十和田の駅へいって、
射ラップ一郎を見送り、
敬々は、十和田中央のバスに乗りに歩いていった。

ボクは、それから3年後に貸家に出さざるを得なくなる
実家が恋しくて、用もなくもう一泊して、帰った。

あれから、もう7年。

7月6日(火)「開拓魂02」は、
DJでテクノの曲をフルに活用して、
バシバシ歌謡プロレスチックにもっていくから、
BOXINGLEE'S CAFEファンも、絶対、青森県十和田市まで来てください。

DJのboxingleeが、結構面白いのは、知ってる、よね!(ぷ)

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7月6日(火)
あの熱気が、遂に野外ステージで再び!
青森県十和田市産馬通りでサンバ前夜祭
「開拓魂02」吼える。



【「開拓魂フライヤー」設置場所】

十和田市役所観光推進課

新宿ゴールデン街こどじ


●青森県南部の4大アート拠点
 ↓
 十和田市現代美術館
 寺山修司記念館
 鷹山宇一記念美術館
 青森県立美術館

●東京近郊の飲食店リスト
 ↓ 
 開拓魂フライヤー設置飲食スポット
(→協力:十和田こまち
3

2010/6/29

三上寛という人  
青森県がどれほどに未来への発展を望もうとも、
例えば寺山修司とか三上寛とか、
ある種日本文化の裏側の王道を
表現する人物を理解していないことが、
致命的な落ち度だと思う。

1960年〜70年代に、
あれだけ、いわゆる青森訛りというものを
アンチカルチャーとしてスムーズに
マスコミメディアをも翻弄利用して、
世情に押し出した人はいないのではないか。

その後、青森県が、イタコやら神様やら、
古くからの庶民に伝わる伝承をないものとして、
いわゆる文明化に走る。

その反面、日本の裏を絵で表面化したのが
スタジオジブリの宮崎駿氏。

もののけ姫、にある北、それは、青森県に限りなく近いはず。

タタリガミ、を出す以前に
寺山さんはそれよりはるか以前に
青森県に潜んで生きる妖怪をキチンと表出していた。

余談

三上寛さんに出会ったのは、
ボクがBOXINGLEE'S CAFEという不思議で流行らない店を
東京荻窪ではじめて2年目。
高橋よしあきという80年代原宿ホコ天関係では
局地的に有名なパンクシンガーの友人を介して、
ライブをブッキングしたとき。

これまたボクの店を介して動き始めた
かつて名をはせた方々が新しく興したバンドが中心となって
はじめられたライブムーブメントが行われる法政大学に
三上寛氏が呼ばれ、出演以前に挨拶に訪れた。

三上寛さんに、自分が青森県十和田市生まれであること、
故郷の両親を失い、故郷を回復するために、
新たなムーブメントを起こしたいということ、
いろいろ述べたら、寛さんは

「いいんじゃない。
 ただし、オレだって今現在まで容易じゃなかった
 だから、キミがやることは最低10年はかかるよ」

といった。

それが2002年の秋も深まる頃だった。

それから、今年2010年と早8年の時が過ぎた。

その間、ボクは無残に店を廃業するが、
三上寛は、十和田に、ボクと共に2日目やってくる
というわけさ。

詳しい話はいっぱいあるけど、
あとは、

7月6日(火)午後7時より、
青森県十和田市「開拓魂02」特設屋外ステージにて
会おう!


次は、誰かを紹介するよ。

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7月6日(火)
あの熱気が、遂に野外ステージで再び!
青森県十和田市産馬通りでサンバ前夜祭
「開拓魂02」吼える。



【「開拓魂フライヤー」設置場所】

十和田市役所観光推進課

新宿ゴールデン街こどじ


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●東京近郊の飲食店リスト
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 開拓魂フライヤー設置飲食スポット
(→協力:十和田こまち
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2010/6/27

人生の変える一冊「負けない技術」  
この数年の間、
自分が敗者ではないかという想いに
落ち込んでいたんですね、ボクは。

サラリーマンも挫折、フリーランスになってそこそこだし、
店舗経営も廃業、ああ、オレってダメだなぁと、
思っていて、たまたま一冊の本に出会って、
またそれが、自分が学んで実践して功を奏したのに、
途中でやめてしまったメソッドだったというわけで、
それがランチェスター経営学ですね。

そして、昨年からはじめた故郷を勝手に利用した個人的ムーブメント
「開拓魂」なんですが、去年は無我夢中。
今年、少し作為的にやろうとして無理がでて、
ああ、どうしよか、とまた悶々としているときに出会った本が、

これ、

「負けない技術」桜井章一著(20年間負けなしの雀鬼)


  

上記の本から引用します。



 「勝ちたい」という欲求に囚われてしまった人は、
 そんな不安を認識することもなく、
 ただ勝利することだけを求めていく。

 勝ったまま死んでいく人はこの世にひとりとしていない。
 ただ、負けないように死んでいくということはできるかもしれない。

 得たものは失う定めにある。
 
 人生という道の先々にあるすべてのものは、
 失うための導きである。

 「勝ちたい」という気持ちは、化粧みたいなものでしかない。

 化粧した「価値」を求めすぎると、人間はどんどん弱くなる。

   以上、「負けない技術」桜井章一著(講談社+α新書)より



たとえば、ボクの故郷青森県十和田市、
一頃は商業として隆盛を誇ったけれど、
それが永遠に続くものであるわけがない。

かつて賑わった商店街の中心だけれど、
それが、そのまま「まちづくり」によって
昔が帰ってくるわけじゃないでしょ。
とボクは思う。

ともかく一つの街が形作られて、
少年、青年、中年、老年を迎える、
そして生まれ変わるとき、それが150年以上前と
同じようになるわけがない。

だから、今、何もなくなったというが、
それは必然の問題ではないか。
何もないところから「ある」を求めて作るから
面白いわけで、そこに開拓という人間の歴史の必然の面白さがある。

かつての馬産に想いをはせるのも悪かないが、
それよりも、あの頃の人たちがそのような思いで、
一つの土地に集まり、どのように飯をくらい、
何を夢見て土を耕したのか、
おそらく、それは今の変化の時代に空洞化した
開拓の街のど真ん中で語ったり、考えたりするのが
面白いし、役立つのではないか。とボクは思うわけです。

どうせ自分が確実に死んでいる100年後を
今計画するってことが、
150年前この街の形を計画した開拓者の
すさまじい執念と情熱を思い起こすことになる。

だから、人は、人間である以前に
生存するために必死に生きて行動する
動物としてとらえてみるのがいいんじゃないか。
その方法の一つは、
ものづくり、かたちづくりの原型としてのアート、
もう一つが、人を原生動物に素直に帰してくれる、
唄、声をだすこと、音を奏でること、文明、反逆、
全部の要素をもった、ロックミュージックじゃないか。

世界一小さなアメリカとしての青森県十和田市に
最も相応しい、動物としての人のお祭りとして、
ボクは、
「一番小さなロックフェスティバル開拓魂02」を
企画、開催するわけです。

その日は確実に、見る人、やる人、集う人、
すべてがロッカーとなる、というふうにもっていこうと思っています。

何はともあれ、音、の力を信じて、

ボクは吼える。

英語で書くと、


   Howl


この言語に関してのみは、
日本とアメリカは、兄弟だ。

アレン・ギンズバーグは

「吠える」

だけれど、

ボク、boxingleeは

「吼える」

犬よりは、虎のイメージ。


以上「開拓魂02」当日配布ミニパンフ草稿でした。


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