アメリカンチェリーと佐藤錦、どちらにもそれぞれの個性と長所がありますね。この二つを味わいながら、ちょっと違うけれども、ふと思い出したことがありました。
今から15年以上前の1989年の頃。私のファンデーションビッチ〔基礎となった台牝〕のマッチ〔初代〕は、先輩方のアドバイスの通りの交配を繰り返しても受胎しませんでした。
勿論戻らない交配料もあったし、先輩が無理をして戻してくれた交配料もありました、その時には犬友を失いました。
時間がただ過ぎ、良いアフガンハウンドを作りたいと言う気持ちばかりが先行した。言われたとおりの交配を4度やり遂げて受胎しなかったと判明した時私は決意しました。
「私はこれからは私の思う通りの交配をしよう。」
私の犬は当時の西ドイツからの輸入犬でした。私はこの子を、私がとても好きなタイプだったAMCHとの交配に踏み切りました、とても反対され、「絶対にいい犬は出来ない」「ハンドリングはしてあげない」と言われたりもしました。
当時はヨーロッパのアフガンハウンドとアメリカのアフガンハウンドを交配することは、晴天の霹靂、非常識極まりないことだったよう・・・
でも私は信じました、良いヨーロッパのアフガンハウンドと良いアメリカのアフガンハウンドをならば 例えアウトブリードでも、ソコソコのラインブリードを無難にこなすよりも、よい結果が出ると信じました。
すでに高齢になっていた母親は2頭だけ牝を生みました、そのうちの一頭がビオランテです。パピーフーチュリティー受賞・ジュニアクラスのデビュー戦でオーバースペシャル、自家繁殖犬でシュープリームドッグを完成した私の渾身のブリードの子。
現在のマウンテン マジェスティのラインの中には、初代マッチとビオランテの血が確かに息づいています。
此の頃のアフガンハウンドファンシャーは、「イギリスタイプ=ヨーロッパタイプ」とか「アメリカタイプ」という言葉さえ使いませんね。それでいいとは思うけれど、「アフガンハウンドにタイプというものは無い」と熱く議論したり、血統について必死で調べ、この掛け合わせなら、どうだこうだと語り合ったあの時代はもう戻らないのですね。あの時の友も多く去りました。でも、私は古き良き時代にはしません、今もアフガンハウンドに熱い想いです。
今ヨーロッパのラインとアメリカのラインを融合してブリードしている犬舎は、私とマジェスティ ラヴァーズだけです。だから私の周りの犬達は、表情や雰囲気が独特で、それでいて物凄く性格がいいです。
ヨーロッパの孤高のアフガンハウンド・哀愁のアフガンハウンドとアメリカの美しいアウトライン・グッドキャラクター 短い言葉では言い表せないけれど、両者のコラボレーションこそがマウンテン マジェスティの真髄であり、目指すところです。