昨日は「あぁもう冬」と思う程寒かった..
お休みだった事もあり、お友達と3人で「家で鍋」(にゃんせ3人とも一人暮らしだからね)をやったのですがなぜか3人でお米3合食べきってしまいました。
お鍋は野菜ととり団子、えびすりみの塩味のシンプルなお鍋、それプラスいただきものの新米。だけ。
シンプルメニューだったからかも知れません...(他におかずが無かったからかも知れないが...)
しかし、食べ盛りの子供じゃなく立派な中年女性3人で3合って....単純計算したら一人1合だよ。
普段は3合炊いて(3合までしか炊けない炊飯器なんで)これを6〜7個に仕分けして冷凍、これを3日〜1週間で食べる感なんで「ほぉ〜1回で食べきった!」つ〜満足感と驚き、それと「もし、食べ盛りの子供がいあたら..お米の消費量は違うんだろうなぁ〜」と自分にとっての非日常が日常の人もいるわけで、面白いなぁと思ったわけです。
例えば3人で鍋を食べ、その後食後の団らんでテレビを見るって事、これは私にとっての非日常で(お友達も同じく)日常の中のイベントの部類。
しかし、家族がいていつも何人かで食事をする人にとっては「はぁ〜たまには一人でのんびり食べたい」って事が非日常。
食事一つとっても色々なスタイルがあるわけですから世の中には数えきれない程のライフスタイルが存在していると思います。
今自分が置かれている状況は同じ年代の方から見たら「マイノリティ」なわけだが、20代の未婚で一人暮らしの人からみたら「マジョリティ」だったりするわけで、単身赴任のお父さんなんかも一時的には一人鍋状態になったり、休日には家族で団らんだったりで...
たかがお米3合だが..ライフスタイルの違いから日常と非日常の違いを感じる出来事つ〜んですかね?毎日5合とか1升とか炊いてる家庭もあるのよね。(むしろこっちの方が多いんだろうが)
インターネットで私が好きな部分は大きなメディアの発信する情報と小さなメディア(個人のブログとか)の双方が見れる事です。
この数年のメディアのいいかげんさというか、驕り、人間を操作したいのか?と思える情報発信、反対に一個人がネット上での何気ない書き込みやら発信が同じ画面で見れる、インターネットというステージは同じなわけで、そこから何を選ぶのか?はその人個人のテイストだからね。
お米を3合食べてしまった非日常を知って欲しい自分もいるわけで、裏をかえせば何かに抑圧されているんですよね、無言のプレッシャーつ〜の?
こういう感覚から早く離脱して真に自立した自信がある人間になりたいが...修行が足りないねぇ..

0