木下がマニュアルカメラを購入。写真の基礎からやるという意気込みがうれしい。フィルムや現像で、お金がかかり、時代に逆行しているが、その分、写真というものがわかるだろう。
僕らはカメラマンではない。カメラマンの方から見れば、そのプライドもあって、僕らは、揶揄される対象だろう。しかし、それはそれであり、枚数を撮影し、反省を繰り返し、そして、何よりも発表することにこそ意味がある。写真家を目指さして、なんぼというのは、カメラマンも否定できない事実だろう。事実、写真を撮影するのにはそんなに知識もいらない。3割が技術と知識であり、7割は感性と落ち着きであろう。
林も写真を撮影する。うちの取材スタッフはカメラ知識は必須である。編集者ならば、一眼レフの知識、写真の露出ぐらいの知識はなければいけない。自分も素人以上の撮影ぐらいはできなければいけない。そして、発表してゆかなければいけない。発表こそが、必然を生み出し、批判もされ、真剣にもなる。クリエーターが恥ずかしいとおもうこと事体に問題がある。恥ずかしいのなら、クリエーターにはならないことだ。
表現者には、ある程度の横柄さが必要。神の真似をしたい猿。そうした自覚を持ち、上からものを申すことを恐れたりしてはならない。先導されたい人たちもいる。夢を与えてほしい人たちもいる。これに応えるのが、僕らの役割なのである。自分の欲求は果たしたたいが、他人の欲求は満たせないでは、話にならない。僕は、こうした基準で、人を選んできた。また、貧乏でも、お金がなくても、自分なりに工夫できなければならない。結局、ストイックであり、ハングリーでなければ持続できない。

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