本物があるか、ないかは別にして、本物という実感がないのは問題がある。作り上げている感性の中で生かされている人間に必要なものは、真実ではない。自分が生きていても意義があり、平凡でも幸せであるという実感。それこそ、「本物であるという実感」だと、僕は思う。
科学的合理主義のなか、切り刻み、あらゆる方向から光を当て、何とかその本質を探ろうとする科学的な有意義な研究と、何もかも日の当たる場所に引き出して、表も裏も、闇の中まで暴露してしまうのは、全く違う。どうも、物を売るという卑劣な目的をクリアするあまり、人間は非常に勘違いした行動に出ている。
真実などなくてもいい。正否など問われなくてもいい。ただ、足元にぴたっとくる安心した物、言葉、存在。そんなものは、意味が問われることもなく、なければいけない。インターネットでの誹謗中傷は、闇そのもの。しかも匿名というものに身を隠した、卑劣極まりなきもの。そんなものが暴走しているものは、本質的な価値などないと言いきってしまえばよい。稚拙であり、大人げなく、無謀で、不完全。瞬時に更新できるこのメディアに、本物などない。
この場にこうしたことを書く大いなる矛盾。ただ、こうしたものがなければ、僕は、瓦版でも出そう。血の通った物を書こう。

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