2008/6/30
関鑑子(せきあきこ、1899年(明治32年)9月8日‐1973年(昭和48年)5月2日)は昭和期の声楽家。本名小野鑑子。
東京出身。東京音楽学校声楽家卒業。 立花ふさ、ハンカ・ぺツォールドに師事し、ソプラノ歌手になったが、大正末期からプロレタリア芸術運動に参加。
1926年(大正15年)、新劇俳優の小野宮吉と結婚。1929年(昭和4年)、プロレタリア音楽家同盟に参画し、初代委員長になる。しかし、この運動は昭和初期に入って弾圧を受け一時消滅。
1948年(昭和23年)、中央合唱団を創立。
1951年(昭和26年)、音楽センター主宰者になって「うたごえ運動」を展開する。この運動は、コーラスによる平和運動として全国に広がり、1954年(昭和29年)には3万人の大集会に発展した。この運動の余波として、東京の新宿を中心に「うたごえ喫茶」、「うたごえ酒場」が隆盛した。
1956年(昭和31年)、国際レーニン平和賞受賞。
1973年(昭和48年)5月2日死去。享年73。妹は、ソプラノ歌手で知られる関種子である。 出典: フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)より
物事を立ち上げることはとても難しい。それを継続していくことも難しい。次の世代へ引き継いでいくことは、もっと難しい。組織として維持していくためには、様々な問題を抱えることになる。しかし、難しいことから逃げていては、何も始まらないし、何も生み出すことが出来ない。自分のやり方を確立することは大切であるが、それに固執すると独善的になる。他の人のやり方を参考にすることは大切だが、その通りにやって自分もうまくいくとは限らない。・・・この頃、いろいろなことを考えながら生活している。
プロの音楽家の仕事の本質について、某所で某氏のお話をうかがった。とても考えさせられた。その話題の中心は、文頭に経歴を記載した故・関鑑子さんのことだった。
私が音楽に目覚めて楽器を弾き始めた頃には、もう他界されていた方であるが、できることなら一度、お話をうかがっておきたかった…と思うような方である。
この夏には、もう一度この写真の場所を訪れるチャンスがありそうなので、ハングルの看板が氾濫する街の飲み屋で一杯飲みながら、関鑑子さんのことを聞いてみたいと思う。
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