正午に行基像前でG倶楽部のメンバーと合流し、奈良町界隈を散策しながらゴールは徳融寺へ。幕末の頃、ここに寺子屋があった事に因んで開講された平成の「大人の寺子屋」は、奈良大学の野誠先生の講座で始まった。
今回は奈良文化のソムリエと称される中島保子さんのお話「俳句と奈良」を拝聴する。
芭蕉は大阪で客死するわけだが、病床において10月10日に遺書を書いた後、香をたいて食を絶ち、2日後の12日に亡くなったそうな。知りませなんだ。
講師の中島さんの華奢な和服姿が美しかった。
今の時期、奈良にいるんだから・・・と、講義終了後、同志3人は他の方々と一時別れて、正倉院展へ。
奈良町からタクシーを拾うにも、歩けども振り返れどもタクシーはどっこにも走っていない!
左手に猿沢の池を見ながらひたすら歩いた。時間が時間だから博物館に着いたはいいけれど入れないなんてことにならないよう駆け足歩きで30分はかかっただろうか、4時過ぎに到着した。
何ということはない、まだまだこの行列。30分ほど待ってようやく入れた。
遅い時間のほうがかえってよかったと納得。お昼にでもきていたら気が遠くなるような待ち時間だったことだろう(多分3時間くらい)。
館内も随分な人だったけれど、要領よく廻れば見るべきものはしっかりと見られる。
入り口付近にフェルトの敷物がガラスケースの中に展示されていた。畳一畳分程の大きさだが、しっかりとしていて1300年前のものとは到底思えない。
また、刀子(とうす)の小物から大きな紫檀木の琵琶にいたるまで、造形と絵柄のモダンなことよ。
全ての展示物はガラス越しに見ることになるので、ぶつけないよう要注意。
光明皇后が書写した「楽毅論」の最後に日付と「藤三娘」(とうさんじょう)と記されているところに釘付けになった。解説によると藤原不比等の三女であることを意味し、当時、皇后は44才だったとのこと。
しかしながらこの筆蹟が、イマ!書かれたように艶めかしい。天平の時代がとても身近に感じられる。
毎年、正倉院展へ足を運んできたが、今年はご即位20周年ということから例年より充実した宝物が展示されている。
奈良国立博物館を後にするころにもまだ人の列が続いていたが、それらを尻目にタクシーを拾いグループの面々と再合流して、奈良の街の一角で夕食を共にした。
我々米原組が一番遠方からだと思いきや、東京から一泊でお出かけの人もあり、乾杯後はいたく盛り上がり候。