「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。・・・私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」
ローマ人への手紙7:19〜25
ナイジェリアというアフリカの国をご存知だと思います。アフリカで最も人口の多い国です。イギリスから独立して以来、何度もクーデターにみまわれました。北部のイスラム教徒と南部のキリスト教徒の間には宗教的な対立があります。負のイメージが常につきまとう国です。
最近取り沙汰されるのは、石油の利権を巡る政治の腐敗や汚職の問題です。ニューズウィークの2010年8月12日号には、そういった現実を踏まえての、ナイジェリア人作家のチアヌ・アチェベに対するインタヴュー記事が載っていました。インタヴュアーの「(ナイジェリアは)なぜ腐敗で名高い国になったのか」という質問に対して、アチェベはこう答えています。「ナイジェリアは石油資源に恵まれた、非常に豊かな国だ。しかし秩序と誠実さがないと、この豊かさが妨げになる。/私はずっとナイジェリアについて書いてきたが、この国が『大人』になれない理由が理解できない。ナイジェリア人は、自分たちがどうなりたいのか理解している。なのに自分たちの行いを正せずにいるのはなぜなのか。私にも分からない。」
石油資源に恵まれてはいても、それを正しく用いていくための秩序と誠実さが育っていない。そういう中ではむしろ、豊かさが成長の妨げとなる。でも、失敗しても失敗しても自分たちの行いを正せない。なぜいつまでも秩序と誠実さとが育たないのか、「大人」になれないのか、それが理解できないと言います。この国の闇を見つめ、ペンの力で光を当てようとしています。
「大人」になれないナイジェリアの闇、自分たちがどうなりたいのか理解しているのにそうなることを妨げる闇、それは正直に自らを見つめるならば、私たち自身の闇でもあるのではないでしょうか。
パウロという、道徳的にも学問的にも当時最高の水準にあった人物でさえ、闇を持っていました。外の豊かさに隠れた闇を持っていました。その闇に正直に向き合っています。でも、パウロの光はペンではなく、「主イエス・キリスト」でした。その光に照らされて、励まされて、闇と向き合うことができました。そして、その光による勝利を確信して、神に感謝を献げることができました。ナイジェリアで迫害に晒されているキリスト教徒たちを通して、ナイジェリアがキリストの光に照らされることを祈らずにはいられません。ペンは人間の力ですが、キリストは神の力です。

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