
日課となっている散歩の、コース脇にある木です。山肌にへばりつく様に伸びている根に支えられて何とか生きています。生命力を感じます。
でも、もしこのままならば、やがては限界が来て、土と共に崩れ落ちてしまうことでしょう。
私たちの信仰も、ちょうどこれと同じようなことになってはいないでしょうか。主が愛し、主が捕らえてくださったという確かな事実に根差した信仰ではなく、自分の愛で、自分の力でしがみついている信仰。
もう一度、自分の愛や信仰ではなく、神の恵みにしっかりと立って歩もうと、この木を見ながら思わされます。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネの手紙第一4:10・新改訳)

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