みなさんお元気ですか?Blog更新もままならぬ…すっかり夏になってしまいました(^^;
今日7月9日。何の日かご存知ですか?
今からたった・・・63年前の今日。
私たちが暮らす、この和歌山に爆弾がたくさん落とされた日。和歌山に空襲があった日なのです。
和歌山城までもを、焼き尽くすような凄まじい焼夷弾が空から落ちてきた夜の11時。
焼夷弾や熱風から逃げるように、和歌山城のお堀に飛び込み命を落とした人。
和歌山市は真っ赤に燃え・・・大勢の尊い命が犠牲になりました。
私事で恐縮ですが、tomomamaの亡き父は大阪の今で言う中央区で昭和7年に生を受けました。
当時から少しずつ軍国化が進み、満州事変がおこったのが昭和6年。その頃から軍国に変貌していく日本だったそうです。
小学校が国民学校に変わり、普通の教育が皇国史観(天皇中心の歴史観)と軍国主義教育に変わり果てた教育を受けた父だったようです。
※国民学校は昭和9年−昭和22年※
個として成熟する前のとても大切な時期を犠牲にした父。そんな年代を生きた父のような人たちの話は思想的にもとても興味深いものでした。
教育勅語の暗唱で刷り込まれた幼き意識は、国のあり方そのもので、兵隊さんに憧れる…立派な軍国少年だったようです。
そんな父が戦争の犠牲にならなかったのは、大阪大空襲の起こる前の和歌山への疎開でした。和歌山の遠縁にあたる親戚のうちへ、家族と離れ、父1人で疎開したそうです。
疎開先は和歌山県御坊の海沿いにそびえる山間部分。そのおかげで父は焼夷弾から逃げ回ることもなく終戦を迎えたそうです。
戦争は終わり、大日本帝国の憲法は書き換えられ・・・、神人と崇められていた天皇の人間宣言。当時のことはあまり聞いてはいませんが、きっと15歳の青年になる前の父には意識改革すること自体、至難の業だったでしょうね。
そんな父がいつも口ずさんでいた歌は軍歌。
時には口笛となり、tomomamaの耳にも…今も物悲しく残っています。
@勝ってくるぞと、勇ましく 誓って国を出たからは
手柄立てずに死なりょうか 進軍ラッパ聞く度に
瞼に浮かぶ旗の波
A土も草木も火と燃える 果てなきこう野踏み分けて
進む日の丸鐵兜 馬のたてがみ撫でながら
明日の命を誰が知る
B弾もタンクも銃剣も しばし露営の草枕
夢に出てきた父上に 死んで帰れと励まされ
覚めて睨むは敵の空
C思えば今日の戦いに 朱に染まってにっこりと
笑って死んだ戦友が 天皇陛下万歳と
残した声が忘れらりょうか
D戦争する身はかねてから 捨てる覚悟でいるものを
鳴いてくれるな草の虫 東洋平和のためならば
なんの命が惜しかろう
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東洋平和のためならば・・・。
今のイラクの戦争も同じだけれど・・・民主化・平和のため。それがどうして戦争になるのだろう。
こんな悲しい唄を忘れられないのは、少年たちの潜在意識の中に、時代ゆえ…戦争という国家間の争いの犠牲にならなければいけなかった悲劇なのか。
それとも、悲劇とすら感じることが出来ないほどマインドコントロールされた結果なんだろう。。教育がいかに大切かがよくわかる。
兵隊さんに憧れていた少年の父を想うだけで胸が苦しくなる。
戦争で犠牲になった命は今・・・何を願っているのだろう。
最期に何を願っただろう。
その命は・・・今の私たちに何を求めているだろう。
私たちは何をすべきだろうか。。
社会を眺め、父を思い・・・戦争によって失くさなければいけなかった命が、今私たちが暮らすこの和歌山でも大勢居たと言うことを胸に刻み、子ども達に伝えて行きたいな。
本当の平和への鍵は・・・私たちが、ひとつずつしっかりと持っているはずだから。
世界の平和を願い。63年前の今日、亡くなった命に追悼の意をささげます。