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1985年1月16日、工事現場でお昼の弁当を使っている最中に突然目の前が暗くなった。これまでに経験したことの無い体の異変を感じ横になった。病院に行けよと仲間に促されたが立ち上がることができない。
異変を察した仲間たちは私を箱バンに乗せ小さな診療所に連れていった。居合わせた医師は私に簡単な計算をさせてみた。1から10までを数えさせたり。今度は逆から言わせたりである。滞りなく言えたのであるが、専門の病院を紹介するからと言われ、救急車が呼ばれて10分ほど走って白い建物の車寄せで止まった。診断の結果、脳の奥深くにある視床下部が出血して、左半身に強い麻痺のあることがわかった。
救急病院からリハビリ病院に転院した。緊張が強いために足首は内反でひっくり返る。おまけに尖足と言って足首は伸びたまま動かない。素足だと1メートールも歩けないので、短下肢装具という鉄の支柱が付いた革靴を作ってもらった。この装具を作るに当たり障害者手帳の申請をし、1種2級の手帳が交付された。リハビリを半年ほど受けると杖を突いて2キロぐらいは歩けるようになった。しかし、医師からは、もうこれ以上治らないから退院してくれと言われ実家に戻った。
最寄の福祉事務所へ今後のことについて相談に行くと、まだ若い(当時35歳)から県のリハビリセンターで訓練を受けたらどうかと言われ、入所の手続きをとってもらった。なお、入所訓練を受けるについては費用のことが心配であったが、家族の収入が少ないので、費用免除の制度が適用された。
リハビリセンターで訓練中の一こま。
私の場合、手足の緊張がとても強く、手はL字型に緊張で引きつり、早々と廃用手の宣告がなされた。足も緊張がすごくて膝が全く曲がらないので、歩こうとすれば強引に腰をひねって足を振り出すしかない。
麻痺足は外側を弧を描いて前方に出る。脚をブンブン振り回して歩くのでブン回し歩行とか外旋歩行と呼ばれている。そして麻痺足が着地する度に、膝にガチッとロックがかかるのである。これは非常に疲れるし。下り坂などでは転倒の危険すらある。
この内反尖足・膝ロックをなんとかしたいとやっきになったが私の手に負えるものではなかった。医師・PTに尋ねてもむなしい返事が返ってくるだけ。それでも歩く練習を止めるわけにもいかず、歩行訓練に明け暮れた。
リハビリセンターでは1年半お世話になった。退所すると実家の空き地で鶏を飼うことを思いついた。卵を売って収入を得ようとの魂胆である。父が鶏を飼えば臭いがして近所迷惑になると言って反対した。しかし、10や20ならどこの家でもついこの前まで鶏を養っていたのである。大した苦情もあるまい。文句を言われたらそのとき考えることにして、一人で鶏舎作りにかかった。片手片足でクギを打ったりの作業は難航を極めたがなんとかオンボロ小屋が完成したので、近くの孵卵場へいって赤鶏のひよこを20羽入手した。
障害年金というのは発病から1年半後に申請可能となる。したがって年金受給が決定すると、第一回目の振込みは1年6ケ月分が初回金としてまとめて振り込まれる。76万の振込みがあったので、どうしてもほしかったAT車の軽トラ
(72万円)を購入した。
しかし、自然卵養鶏の本を読んでいるうちに、ゴトウの赤鶏がすぐれていることを知り
新たにゴトウのひよこを50羽入手した。
やがて鶏たちは成長し産卵を始めた。しかし、この頃付き合っていたリハビリセンターの女性職員が一緒に暮らしたいといい始めた。彼女は田舎で暮らしてもいいというが、博多の街で生まれ育った彼女には農村の暮らしは無理であると考え、私が彼女の住まいと職場のある町へ引っ越すことにした。卵を産み始めたばかりの鶏70羽は知り合いの養鶏家に無償で譲った。

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