☆ 菜の花の沖 (一) 司馬遼太郎
今年の夏、函館に行った。ノブリンにとって函館は、新撰組。最後まで戦った土方歳三、五稜郭。私も司馬遼太郎の「燃えよ剣」は好きだけど、函館っていったら「菜の花の沖」、高田屋嘉兵衛だ。廻船業者で函館の北洋漁業の基を築いた「函館の恩人」だ。函館山の麓に銅像がある。船、海、交易ということと、嘉兵衛のとぼけた感じが大好きな竜馬と似ている気がして好きだ
再読。嘉兵衛の時代は、1769年〜1827年。土方・近藤・竜馬がだいたい1835年〜1869年。嘉兵衛の没後40年で大政奉還だ
八代将軍吉宗の孫の十代将軍家治のあたり。この家治より老中の田沼意次のほうが知られている。嘉兵衛の活躍がこの田沼の重商主義的政策、蝦夷地の開発にも関係が深い
淡路島の貧農の子として生まれ、生家のある都志本村を出て新在家の親戚の漁家に行く。11歳の頃だ。13〜15歳で成人となし、若衆宿に入らなければならない風習がある。ここでは、新在家の若衆宿に入らなければならないところ、生家のある本村の若衆宿に入る。このため嘉兵衛は、新在家の若衆から憎まれ、虐げられる。1巻はほとんどこれだ。陰湿な習慣で嫌になる
漁師の弥右衛門の手伝いをしたり、叔父の使いで瓦船に乗ったりと、船、海、潮を学んでいく
おもしろいのは、やっぱり恋だ。網元の娘おふさに懸想する。懸想したということであらぬ罪をなすりつけられ、虐げられ、八分という重い罪にまで背負わされる。この時代の恋とは、夜這いである。娘のところに忍んでいくのである。好きだとかの言葉もなく、ただ「今夜、十時、軸の松の根方まで来い」という。これに応じるということは、身体を許すということだ。浜に新品のござを敷いてそこで抱き合う。ござの下は砂だ。潮騒の音と夜空。原始的でおおらかでロンティックだ
おふさとの恋で、新在家にもいられなくなり村抜けした嘉兵衛は兵庫の小さな廻船問屋、堺屋喜兵衛のもとに身を寄せる。やがておふさも彼のもとにきて所帯を持ち、喜兵衛の名代として樽船に乗り江戸まで行く
新在家では虐げられていた嘉兵衛だけど、兵庫の船では違う。沖乗りの場合、仲間を大切にしなければやっていけない。海の男たちがいい。嘉兵衛の23、24歳頃まで
