死者の復活
ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。第一コリント15:12〜22
“イエスは言われた、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」”(ヨハネ11:25)キリストの復活は、かれの誕生の何百年も前から預言されていました。またかれは、復活について弟子たちに予告しました。何百人もの人々がイエスの復活を目撃しました。 御子イエスの目的は、私たちの罪を贖うためでした。イエスがその目的を多くの人に知らせたとき、人々はイエスを異端者であると非難して、十字架刑にせよと要求しました。議会で弁護する機会を与えられても、イエスは沈黙されました。なぜなら、私たちが赦されて神と和解できる目的が始めから計画されていたからです。 イエスの復活は神からの贈り物であり、かれの目的の成就です。それはキリスト信仰の最大の基盤となります。エデンの園のアダムの違反から、人類はみな生まれたときから罪の性質を備えています。支払う罪の報酬とは、死であると主は言われました。“罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さ る賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです”(ローマ6:23)。 キリストの命がなければ死の存在があるだけです、しかしよみがえりの救い主であるイエスを受け入れることは永遠の命を頂くことです。なぜなら、神は私たちに永遠の死を望んでいないからです。かれは御子イエスの十字架刑の贖いと復活の道を私たちに提供してくれました。
人類で最も役に立つことのない、最悪の十字架。しかしここにキリストが架かったことによって、最も希望のシンボルとなったのです。絶望を希望に変えられました。のろいを命に変えられました。復活は、決して打ち破れない死を打ち破られました。これこそ福音です。まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。ヨハネ14:12
私たちが、招かれたのはこの世で祝福に満ちた人生を送るためです。御国への希望の中でこの世を苦しみ、耐えてただ再臨を待つばかりの歩みではありません。しかし、あなたの人生が誰もが羨む祝福に満ちていたとしても、御国に準備されている祝福には、比べようもない、想像をはるかに超えた恵みなのです。今、その約束が、そんなものが何の役に立つのかといわれますか。今救ってくれと言われるでしょうか。それは「明日は死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」1コリント15:32と言っているようなものです。 復活を否定して生きていく姿です。十字架の死と復活の主を否定しているのです。イエス・キリストのなしとげてくださった御業は私の求めをはるかに超えた力です。今日この時、主よ御国を与えてくださったこの救いの御業を受け取りますと言いましょう。

0